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2012年3月20日 (火)

ハリー・チャールズ大いに語る④

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「という事で、かなり間があいてしまいましたが、続きの方お願いします。チャールズさん。」
「と言う事で、やあらへんがな。いつまで引っ張るつもりや?風邪ひいてまうぞ」
「平にご容赦お願いします。しゃ~けど、私も修学旅行の下見で沖縄行って来たり、入試があったりと忙しおましたんやわ。いやほんま。それでは、タレント・スカウトとして活動を始めた所からどうぞ。」
「ボー・ウィーヴィル・ジャクソンを見つけた後で、アラバマに戻り地元のミュージシャンの発掘を続けたわけじゃ。ルシール・ボーガンにカウ・カウ・ダベンポート、エド・ベルにバディー・ボーイ・ホーキンス・・・。全員、ワシが直接立会いの下でシカゴで録音させたんじゃ。たしかバディー・ボーイ・ホーキンスはバーミンガムの路上で歌っとる所を見つけたと思うぞ。」

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   エド・ベル

「ほほ~。するとその頃のパラマウントのタレントの大半はチャールズさんが見つけてきたと?」

「いや、ランブリン・トーマスとかウィル・イーゼルといったテキサス方面の連中は、アシュフォードが発見しよった。」

「ブラインド・レモンの録音をライブリーに勧めた人ですね?」

「そうそう。それからメンフィス方面には、なんちゃらワトソンというディーラーがおっての。フランク・ストークスとガス・キャノンを斡旋しよったちゅう話や。ま、いずれにせよ、パラマウントというかライブリーの方針は、タレントの発掘はワシらのようなディーラーまかせやったな。」

「ディラーはタレントを斡旋する見返りとして、パラマウントから報酬を得るという仕組みですね。」

「いや。ワシの場合はプロディ―サー料としてレコード1枚あたり2セントのロイアリティーを受け取り、タレントには半セントをワシが直接払うという契約やった。しかし、これがまた曲者でな、売上枚数をかなりパラマウントは、誤魔化しよったと確信しとるんじゃ。腹の立つ話じゃよまったく。」

「チャールズさんはタレントにちゃんとお支払いになられたんでしょうね?もちろん。」

「へ?いや、それはそれ、あれですがな。人生色々、苦もあれば楽もある。あくまで個人的な口約束であって何ら法的な拘束力のない事でもありますし・・・。回答は差し控えさせていただきたい。」

「さよか?どこかのプロ野球球団みたいなお答えですね。」

「今日、耳日曜です。」

「ところで当時のパラマウントのレコード売り上げ枚数ってだいたいどの程度やったんでしょうかね?」

「そやね。ブラインド・レモンとかマ・レイニーといった人気者で10万枚から多い時で20万枚はあったな。弱小レーベルとしてはかなりな量やで。1万枚を突破すると次回の吹き込みチャンスを与えるというのがパラマウントの方針やったみたいや。」

「さらにチャールズさん、テスト盤の事前チェックまでもされたとか?」

「さいな。従来はメイヨー・ウィリアムズが引き受けてた仕事やが、メイヨー追い落としを計るライブリーがワシの所に直接送って来よってね。『出来不出来、発売の可否の判断を願いたい』と言うてな。」

「ライブリーさんから絶大な信頼を得ておられたんですね。うーむ。」

「実は、ここだけの話、メイヨーからも引き抜きの声がかかったんやで。」

「どういう事ですか?具体的にお願いします。」

「ちょうど、メイヨーがパラマウントに内緒でブラック・パティー・レーベルの中心人物として活動しだした頃、『セールスマン兼スカウトとして私の下で働いてもらえないでしょうか』と打診してきよったんや。けっこう好条件を提示されたんやが、なんせあの時代や、黒人の下で働いてるってな事が南部で知られてみ?命が危ないがな。勿論ことわったよ。あ、それから元パラマウントで働いてたQRSのアート・サザリーからもヴランズウイックのジャック・カップからも好条件でお誘いがあってな。」

「ジャック・カップというと後にアメリカ・デッカを立ち上げた人ですね。けっこう各方面から高い評価をされてたんですね、チャールズさん。」

「ま、そういう事や。セールスにかけてはワシに敵う奴はいてなかったよってね。エヘン。そのジャック・カップやけどね、1曲あたり40ドルとレコードセールスの4%を保障するちゅうて提案してきよってね。」

「パラマウントより好条件ですね?」

「そやろ?そやねん。そこでワシもジャック・カップと契約を結ぶためにシカゴまで出かけたってわけや。ところが吃驚!駅で待ってたのはなんとライブリーの奴や。」

「あらま。」

「『今から急ぎの用があるので、本社まで一緒に行ってくれるか』てなことをぬかしよってね。結局ジャック・カップとの話はオジャンになってしもうた。どこから話が漏れたのやら・・・。」

「ジャック・カップと関係を深めつつあったメイヨーさんあたりからリークされたんとちゃいます?なかなか複雑な人間関係ですな。」

「ま、そんなことがあって以来、ワシも開き直って好き放題やらせてもらうことにしてな。カウ・カウ・ダベンポートもルシール・ボーガンもパラマウントを無視してヴランズウィックに録音させたぞ。」

「さよか。時間も無いのでぼちぼち終わりたいのですが、TVカメラの前で立ってはるお姿は、いつ頃の写真ですかね?」

「これは、ワシがアラバマで設立したピアノ会社の販売コマーシャルを撮ってる所や。大恐慌のあとレコード産業がほぼ壊滅して、ワシも苦労したが持ち前のガッツと才覚でやり直す事ができたんや。しかし、レコード界で頑張ってた頃が一番おもろかったな~。あ、そや君にお土産としてparamaunt3002番のSP盤を持って来たろと思ってたんやが、家に忘れてきてしもた。」

「なんですか?それ。」

「ヒュージ・ギブス・ストリング・バンドやがなワシの素晴らしいボーカルが聴ける貴重盤やで。」

「それは残念。(別に欲しくないけど) どうも長時間ありがとうございました。」


YouTube: 'Mamlish Blues' (1927) ED BELL, Alabama Blues Legend


YouTube: COW COW BLUES (COW COW DAVENPORT)

 

2012年3月 4日 (日)

ハリー・チャールズ大いに語る③

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「前回は、レコード・セールスマンとしてのお話をお聞かせいただきましたが、本日はタレント・スカウトとしての御活躍ぶりを御伺いいたしたいと・・・。」
「よっしゃ。ワシの睨んだ通り、その後パラマウントは黒人レーベルの『ブラック・スワン』を統合し、メイヨー・ウィリアムスという黒人を実質上のタレント・スカウト兼プロデューサーとして迎え入れて黒人音楽レーベルとして確固たる地位を築いたわけじゃが・・・・。」

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「あ、そのメイヨーさんですけどね、以前に語ってもろたことがあります。ところでパラマウントがブラック・スワンを吸収したという当時の記事ですが、ブラック・スワンのオーナーのペイス氏は、パッと見た所、白人みたいな容貌ですね?どうでもええ話ですが・・・」

「その後のブラインド・レモン・ジェファーソンの“ロング・ロンサム・ブルース”の爆発的ヒットによってて生じたメイヨー・ウイリアムズとアーサー・ライブリーとの対立がきっかけで、ワシがタレント・スカウトとして活動するようになるっちゅうわけや。」

「といいますと?」

「実の所、メイヨー・ウィリアムズは上の記事に書いてあるような正式なパラマウント社のレコーディング・マネージャーでは無くてな。個人的にタレントを見つけて来てレコーディングを行い、その報酬としてレコード売り上げのロイヤルティーやら著作権なんかをパラマウントから受け取るという立場で活動してたんや。正式なレコーディング・マネージャーはモーリス・サパーという人やったが、『メイヨー・ウィリアムズのお陰で順調に儲かってるし、社員としてのサラリーを支払う必要も無い。別にわたしが口出す事もあらへんがな』という態度を取ってはったんや。」

「ほほう」

「ところがやね。そのサパーさんの後任者として登場したアーサー・ライブリーがメイヨー・ウィリアムズにとって代わろうとする野心的な男やってな、そこから話がややこしなってきたんや。

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アーサー・ライブリー

実は、ブラインド・レモンを売り出すように言ってきたのは、ダラス担当のアシュフォードという男やったんや。その申し出をうけたライブリーがレモンのレコードを発表した所が空前の大ヒットとなり、その後のオッサン弾き語りスタイル全盛を迎えるに至るわけや。」

「それまでの女性による劇場スタイルというか所謂クラシック・ブルースからカントリー(田舎)ブルースへの転換という事ですね?たしか1926年の5月やったと記憶してますが。」

「そう言う事や。ところがこの結果、ライブリーは一流のプロデューサーとして一躍世間の脚光を浴びるようになりメイヨー・ウィリアムズと張り合うようになったな。」

「火花を散らすライバル関係になっていったと・・・?」

「そのすぐ後に、メイヨーの側もブラインド・ブレイクを発見して対抗し、両者の間は、いよいよ抜き差しならない緊張状態に発展していったわけや。ま、メイヨーの方はそうでもなかったけど、ライブリーの側は嫉妬とやっかみもあって『私の方がメイヨーより売れるタレントをスカウトしてレコーディング出来る自信があります。正式な社員でもない黒人に金を出すのは会社にとっても無駄ですがな。全部わたくしめにお任せあれ。レモンの様な南部のタレントについては、私の方がメイヨーより詳しおます。』てな事を上層部に再々訴えよったな。」

「ほほう。」

「たしかにメイヨーはエリート黒人で、シカゴの都会的な音楽状況には精通してたが、南部の黒人タレントについてはほとんど知識も無かったけど、ライブリーも実の所は似たようなもんでな。ここだけの話、黒人音楽そのものを密かに嫌ってるような男やったで。」

「さよか?そうすると例の3000番代ヒルビリー・シリーズを始めたのもライブリーさんですけ?」

「そうゆうことや。ま、それはともかくそんな事情で、ライブリーから『ハリー君。誰ぞ南部の方で売れそうな黒人タレント見つけて来てくれないかね』と頼まれてね。ワシも本格的なスカウト活動に励むようになったという次第や。あ、言い忘れとったが、1923年にルシール・ボーガンをオーケーに世話したった経験もあってな。自信を持って承諾したんや。」

「その第一発目が、ボーウィーヴィル・ジャクソンになるわけですね?」

「そうそう。」

「しかし、おたくさまも、いきなり最初から他の会社と二股かけるとはエエ根性してますな。」

「ははは。」

「と言う事で、本日は歴史的なブラインド・レモン・ジェファーソンの『ロング・ロンサム・ブルース』をお聴きいただいて。次回へとつづきます。」

「あれ?もう終わり?もうちょっと語らせてもらわんと・・・。」

「私もちょっと疲労気味でんねん。すんまへん。」


YouTube: 'Long Lonesome Blues' BLIND LEMON JEFFERSON (1926) Texas Blues Guitar Legend

2012年2月27日 (月)

ハリー・チャールズ大いに語る②

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「少し間があいてしまいましたが、続きをお願いします。ハリーさん。」
「よっしゃ。パラマウントが本格的に黒人向けレーベルとして活動を始めた経緯については
前回ちょっと話したと思うが、問題は南部での販売ルートの開拓にあったわけや。
なんせ当時は、最大の顧客と考えられる黒人人口の9割近くが南部に住んでたもんやさかい、ここを押さえん事にはどうにもならん。」
「なるほど。」
「親会社のウィスコンシン・チェア・カンパニーも結構大きな家具メーカーやったが、南部には販売ルートは皆無や。そこで一からスタートする必要が出て来たわけじゃ。」
「そういう時に卸売先として契約にこぎつけたのがバーミンガムに本社を置くフォーブス・ピアノ・カンパニーだったわけでしょ?なんでも、ハリーさんの進言が大きかったとか?・・・。」
「そういうことや。ワシも既に辣腕セールス・マネージャーとして信頼されてたから『パラマウントと契約しなはれ。今の時代、黒人家庭も3軒に1軒簡易型の蓄音機がおまっせ。このビジネスチャンスを逃す手はおまへん』とか社長に言ったら即決やった。わははは。それに、小さい頃から黒人音楽にワシも心惹かれる所も大きかったし・・・。」
「しかし、小売店の開拓とかが大変やったのとちゃいます?」
「そらそうや。『何が悲しゅーて黒人向けレコード扱わなあかんねん』『儲かるかもしれないけど、黒人客に出入りされるのも、ちょっと困りまっせ。』てな風潮が一般的やった南部の事や、一口では語りつくせん苦労もあったよ。しかし、それにもめげずワシは宣伝マンとして南部諸州を車で移動しながら営業に努めたぞ。週に2000マイルは走ったで。3カ月に1台、新車も乗りつぶすほどやったな。おかげで、調子のエエ時には1日に500ドルの契約を取る事もできたがな。はははは。そうこうしてるうちにパラマウントがワシの目ざましい働きぶりに注目しよってな、『いっそのこと、うちの会社に来てもらえませんか』ちゅうてヘッド・ハンティングされたわけじゃ。」
「ほ~。こういう写真↓の様な感じやったんでしょうね?」

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「ま、そんな所やが・・・。ワシはもっとエエ男じゃぞ。」
「えらいすんまへん。」
「しかし、契約にこぎつけるためには色々と知恵を絞ったで。」
「といいますと。」
「たいがいは、ワシの舌先三寸で話は済むのやが、どうしても頑固なディーラーも中にはいててね『大手のコロンビアやビクターならともかく、わけのわからんメーカーのレコードは取り扱わん』と来たわけや。それであの時は数名の黒人にお金を掴ませて『パラマウントのレコードおまへんか?』と一芝居打たせてね・・・・たしか200ドルか300ドル売りつけたったぞ。はは」  「わりと古典的な手法ですね?」 

「それと、厄介な時には直接レコード吹き込ませた説教者を使ったりもしたぞ。」

「といいますと?」

「当時アラバマで人気のあったJ・Oヘーネスちゅう説教者がいててな。そのピクチャーレコードまで作った事もあって、ヘーネス師に言う聞かんミュージックショップに出向かせて説教させたんや『今や仏蘭西は神から背を向け、悦楽を欲しいままにする民族的自殺の道に落ち込んでしまった。英吉利も亜米利加も、いかがわしい飲み屋や酒場によって酔っ払い天国に堕落しようとしておる!パラマウントをよろしくねheart04』ってなもんですわ。」

「そのレコードちゅうのは、3000番代の白人向けヒルビリー・シリーズですね。これだっか?」

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「そうそう。しかし、この3000番代、結局3323番まで出たんやが、売れ行きはパットせなんだぞ。ま、それはともかく、レコードを売ってくれそうな場所にはすべて足を運んだで実際の話。家具屋はもちろんの事、プランテーションの雑貨店、宝石店に靴磨き店、散髪屋からキャンディー・ストア・・・・・」

「そんな場所でもレコード売ってたんですか?」

「そう言うこっちゃ。もっとも最大のお得意さんはデパートやで勿論。プレハブの仮設販売ブースを作らせてもらったり、ラウド・スピーカーで音楽を流してもらったりして結構儲かったぞ。週に6000ドルの売り上げがあったデパートもあったんやで。」

「左様か。というわけで、話ばっかりも何なので本日は、アルバータ・ハンターを聴いてもらいませう。」


YouTube: 78 RPM: Alberta Hunter - You Shall Reap Just What You Sow

「あ~懐かしや。アルバータさん。初期パラマウントの最大の功労者やで。しかしあいかわらず音がナニやね?」

「なんで、こんなにスクラッチ・ノイズが多いんですけ?やはり技術的な問題ですかね?」

「というより、材質の問題や。含まれてるシェラックの量が少なすぎるんや。これも経費を抑えようとする会社の方針の結果といえるな。」

「といいますと?」

「だいたい当時の常識として、良質レベルのレコード100枚を作製するには少なくとも1ドル50セントが必要と考えられてたんやけど、絶対それ以下の経費で済ませようとするのがパラマウントやったんや。」

「あらら」

「そんなわけで、音質の悪さというのも他のメーカーに比べ不利な点でやったんや。録音技術が機械録音から電気録音に移行するようになってから、ますますその欠点が大きく目立つようになってきてしもうた・・・。」

更に続く


2012年2月20日 (月)

臨時ニュース

既に知ってはる人は知っているでしょうが、知らない方にアッ!と驚く重大ニュース!
な、ななんと、あのサニーボーイⅡとロバート・ジュニア・ロックウッドの若き日の映像が
遂に発見されましたぞ。
それも、総天然色でっせ。総天然色。安物のピンク映画みたいなパート・カラーちゃいまっせ。
実は、この映像、リンクを貼ってもらってるオギテツさんとこで知った次第ですが
いや~、吃驚ですね。
なんでも、あの伝説的なラジオ番組「キング・ビスケット・タイム」のスポンサーのマックス・ムーアというオッサンが記録したものらしく、最後の方のいかにも素人くさい重ねられた見苦しいところもありますが(16ミリフィルムでしょうか?このあたりの解説をぜひ、その道のプロ、ガチャコ氏にお願いしたいところでございますが)「何でもっと早くに公開してくれなかったのや!」と言いたくなる歴史に残る映像ですね。
それにしても1942年といえば、あのロバート・ジョンソンが亡くなってまだ4年。昭和で言えば
17年。まだ太平洋戦争が始まったばっかりですがな。
「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」てな事で必死やった日本に比べ、この脳天気さはどないだ?
という事で、衝撃の映像をどうぞ!ただし音声は残念ながら記録されておりません。


YouTube: King Biscuit Time (1942, 1952)

2012年2月11日 (土)

ハリー・チャールズ大いに語る

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という事で、無理に?来ていただいたハリー・チャールズさんにお話しを伺いたいと思います。

「よっしゃ。よっしゃ。どうしてもワシのパラマウントでの活躍を聞きたいようなので、ざっとパラマウント、正式にはニューヨーク・レコーディング・ラボラトリー社についての話からまずお話してあげよう。よいかな?」

「そのあたりは、私もある程度知ってまっせ。ウィスコンシン・チェア・カンパニーちゅう家具会社の子会社で、チャーリー・パットンやらブラインド・レモン、ブラインド・ブレイク、スキップ・ジェームスからマ・レイニー・・・・。ブルース史を語る上で真っ先に挙げられるレーベルですがな。SPコレクターの垂涎の盤もたくさんおますね?私も何度もオークションで挑戦してるんですが、高くて手がでませんねん、有名どころは。・・・1枚おくれ。」

「なんでやねん。しかし、会社の実態はちょっと、というか、かなり胡散臭い所があってな。」

「と言いますと?」

「儲かるようになってから、税金対策として色々と策を考えよった結果、1923年から24年の間は誤魔化して活動休止ちゅうことにしよってな。とうとう1926年には、法人としての報告を怠った為に会社としての公的権利を剥奪されてしもうた。」

「い~っ!えらいことですやん。大変ですやん。」

「いや。それがそうでもなかったのや。会社の重役連中は『これで、税金を納める必要も無くなったし、訴えられても大丈夫になったぞ。なんせ、表向き、会社自体が存在してない事になったよって。わははは。』ちゅうて、どこ吹く風や。」

「確信犯的犯行ですね。いやほんま。あ、それで、ブラインド・レモン・ジェファーソンさんが堂々と本名でオーケー・レーベルに吹き込んだりすることが出来たんですね?」

「そう言うこっちゃね。パラマウントも訴えたくても、訴える事が出来なかったわけや。」

「ところで現在の所、私、パラマウント盤は、以前に御紹介したパパ・チャーリー・ジャクソン以外にルシール・ヘガミンのを持ってるんですが・・・。これについて一言お願いします。」Cimg1480

「あ、これはニューヨークの貸しスタジオで録音された奴やろね。メイヨー・ウィリアムが活動する以前でパラマウントが10万ドルの赤字を出して苦闘してた頃の作品やな。まだ、本格的に黒人向けのレース・レーベルとして踏みだす前の作品や。」

「なるほど。それで番号がレース・シリーズの12000~13000番代で無いわけですな。」

「そう言うことや。そもそもレコード産業に全く無知な連中が、蓄音機やレコード販売で儲けようと考えたのが甘かったな。パラマウントは、当時のポップスとかドイツ系移民向けの音楽とかを売り出そうとしたけど、これがサッパリやった。ノウ・ハウが無いために録音は、自前ではできず、また、せっかく完成させたグラフトンのレコード・プレス工場も、唯一の黒人レーベルのブラック・スワンからの受注でなんとかやって行けてる状態やったらしい。」

「へ~。そういう背景があって、黒人マーケットに向けて本腰を入れるようになったわけですか?パラマウントも。」

「オーケーのマミー・スミスやブラック・スワンのエセル・ウォーターズが大当たりをとったという実績はあったものの、あの頃はまだまだ黒人用のレコードを吹き込む事には、各社とも二の足を踏んでた事情もあってな。『生き残るには決断が必要や。この際、思い切って行ってまえ!』というセールス・マネージャーのモーリス・サパーの一言で決まったって事や。たしか1923年の夏頃やったな。」

「その頃ですね?チャールズさんがパラマウントとかかわりを持つようになったのは。」

「さいだす。ときに、ここらで一服してルシール・ヘガミンの作品でも聴こやないか。」

「わっかりやした。」


YouTube: He may be Your Man but He comes to see me Sometimes - Lucille Hegamin - Puritan Record 1922

「ピューリタン盤かいな?」

「パラマウントの姉妹レーベルみたいなもんでっしゃろ?」

「こっちの方が安いな。パラマウント盤は当時の小売価格が1枚75セントでな。工場出荷時の卸売価格が27セント半。小売店には45セントで売られてたんや。なかなか大変だとは思うけど、君も頑張って木下さんみたいにチャーリー・パットンの1枚でも手に入れるよう努力しなさい。」

「無茶な事言いなはんな。全部あわせても世界に100枚ほどしか無いらしいですがな。貧乏人には、ぜったい無理!!

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               続く  

2011年10月17日 (月)

Jamaica Ginger Jar

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eBayで「ジャマイカ・ジンジャー」の空き瓶が出品されております。
御存じの方も多いとおもいますが、この「ジャマイカ・ジンジャー」なる安物の医療用アルコール、禁酒法の時代に合法的な酒の代用品として使用されたがために、3万人とも5万人ともいわれる多くの犠牲者を出した事で有名な物でございます。(法を逃れるために加えられたリン酸トリクレジルという物質によって脊髄や末梢神経が侵され、最悪の場合一生歩行困難な状態になってしもうたんやと。【Jake Leg】)

「それがどないしたんや?ジャグとして使えそうにもないやんけ」という声も聞こえてきますが、あいや待たれい!実は、このジャマイカ・ジンジャーによる被害とその原因が判明したのが1930年の2月27日でございまして、この日付が、トミー・ジョンソン、イシュマン・ブレーシーのパラマウント・セッションがいつ行われたかという問題を解決する決め手となっておるのであります。

従来は、イシュマン・ブレーシーの「ウィスコンシン州のグラフトンで録音した時、ちょうどブラインド・レモンさんも来てはりましたで。」という証言を基にして『それやったら1929年の12月以前の話やな。なんせレモンさんが雪のシカゴで亡くなったのがその年の12月やさかいに』と、デヴィッド・エヴァンズなんかは1929年の11月頃と考えていたようですが、このセッション時に録音されたトミー・ジョンソンのAlcohol and Jake Blues



YouTube: 'Alcohol And Jake Blues' TOMMY JOHNSON, Delta Blues Legend

やら、イシュマン・ブレーシーの Jake Liquor Blues


YouTube: 'Jake Liquor Blues' ISHMAN BRACEY (1929) Delta Blues Guitar Legend

は、この悲惨な事件を題材にしており、トミー・ジョンソン、イシュマン・ブレーシーのパラマウントセッションは、おそらく1930年の春頃であろうと言う説が現在では有力となっております。(イシュマン・ブレーシーも別のインタヴューでは、ブラインド・レモンではなく、ブラインド・ブレイクが来ていたと言ってたらしい。これなら辻褄があいますね?)

まそれはともかくとして、最近ではトミー・ジョンソンが愛飲(?)してたという台所燃料の「Sterno」(キャンド・ヒート)も出品されてたりと、当面eBayからは目が離せませんね?(濾過して砂糖をチョッピリ加えると、結構いけるらしい。勇気のある人は、挑戦してみよう!)

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2011年10月 3日 (月)

2012年ブルース・カレンダー

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今年も残すところ3カ月を切り、来年のブルース・カレンダーを御紹介する季節とあいなりました。ジョン・テフテラー氏による、このカレンダーのセールス・ポイントは、なんといってもオマケCDに収められているウルトラ・レアなボーナストラックにあるのですが、今回は従来までとは、ちょっと毛色のちがった戦後物の3作品が登場しております。「ぼちぼちネタも切れたためか?」と思われるかも知れませんが、ところがどっこい!その3作品は、あっ!と驚くレイン・ハーディンの一曲(ハーディン・レイン名で録音。B面は別人の作品)とブラインド・ジョー・タガートの2曲(ボロボロのアセテート盤で修復するのに難儀したらしいですが)。

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いや~。まだまだ人知れず埋もれたままのレコードがあるもんですね?

他にもHarum Scarum(ハーラム・スカラム?ビッグ・ビルブルンジー+ジョージア・トムドーシー+モーゼル・アンダーソン、paramount13104)や「ロバート・ジョンソンも絶対に聴き狂ったはずや!」とテフテラー氏が推測するテディー・ダービーを始め、チャーリー・パットン、ブラインド・ブレイク、ブラインド・レモン、チャーリー・スパンドなどお馴染みの面々のレアな作品が収められておりますですよ。

お金に余裕のある方は是非、ご購入あれ!

ちなみに、12月のアート・ワークには、ブラインド・ジョー・タガートの従兄(現在91歳やと)から提供されたという、彼の写真も使われております。近々、これを手に入れた独逸人リサーチャーのAlex van der Tuuk氏による、タガートについての研究結果も発表されるということらしい。

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これまで知られていたたった2曲のレイン・ハーディンの作品をおたのしみあれ。(アップしてはる人は、キング・ソロモン・ヒルと間違ってはりますが・・・。気づいているなら早く訂正してほしいもんです。プンプン)


YouTube: King Solomon Hill - Hard Time Blues


YouTube: KING SOLOMON HILL - California Desert Blues

2011年9月24日 (土)

臨時ニュース

なんとなんと!あのブラインド・ブレイクの死亡証明書と
お墓が発見されたそうですぞ!

http://www.sociofocus.com/2011/09/23/arthur-blind-blakes-death-certificate-finally-found/

ダン・ピケット

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本日は、一部のコアなブルース愛好家に絶大な人気を誇るダン・ピケットさんのアルバムのご紹介。1949年にGothamレーベルに吹き込んだ14曲の作品が収められております。(そのうちの10曲は5枚のSPとして発売〈推定各500枚程度のプレスやて〉され、残りの4曲はお蔵入り物)どの作品も、原曲はどれも他人のものから借りておるのですが、自分のスタイルとして完全に消化してはる所は実に素晴らしい!
かつては、この人の正体をめぐって研究家の間では、「テキサス出身の人ちゃうけ?」「いやいやカロライナあたりの人でまちがいない」「アラバマ産じゃ」と喧々諤々の議論もあったようですが、様々なリサーチを経て唯一残されている写真の発見など、おぼろげながらもその姿が明らかになってきたようでございます。

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ダンピ・ケット、本名はJames Founty。1907年の8月31日に生を受けて1967年8月16日にお亡くなりになったそうな。生前は、ラフで不安定な当時のブルース・マン達に典型的な生活を送られたようで、調査の結果、実の娘や親類の人たちが見つかったにもかかわらず、具体的な生活の全体像は漠としたままらしい。
娘さんでさえ「お父ちゃんと別れたのは1955年。私が8歳の時やった。おかあちゃんと私の乗ったバスの窓にへばりついて『行かんといてくれ』と涙を浮かべてはった姿を見たのが最後やった。まだ生きてはるのやら、亡くなってはるのやら(涙)・・・」というぐらいですからね。実に身につまされる悲しい話やおまへんか。え?幸せな生活を送ってる自分には関係ない?あ、さよか。

ま、それはともかく、他に判明した事実としては、この方、ハーモニカも得意だったらしく、フロリダのラジオ局でバンブル・ビーという芸名で活躍してた事もあったんやと。それと、亡くなる前の何年かはアラバマの白人富豪の下で世話になり、葬儀にも多くの多くの白人が参列したんやと。

ダン・ピケットが1回こっきりのセッションで残した珠玉の作品が集められたこのLP。見かけたら即、購入いたしましょう。(CDも出てるのか?)


YouTube: Dan Pickett Ride To A Funeral In A V-8



YouTube: 99and1/2 ~ Song by Dan Pickett ~ Angels by Howard Finster

 

2011年9月17日 (土)

ライトニン・ホプキンスのゴールド・スター盤

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もう半年前の話ではございますが、ライトニン・ホプキンスのゴールド・スター盤SP(652、A面はMad With You、B面がAirplane Blues)を入手いたしました。
戦前のレア物ではありませんが、なにせ泣く子も黙るライトニンの作品とあって、かなり高額のブツと思われる方もおられるかも知れませんが、嬉しい事にリンクを貼らせていただいてる、本邦有数のSPコレクターの木下氏から極めてりーぞなぶるな価格で購入した一枚でございます。もう半世紀前の作品ではございますが、保存状態も良好、音の方もE、どんなに厳しく見てもVG+といった所でせうか。
これからも精進して、貴重なSPをコレクトしていきたいと、ま~、こない思っております。

ところでライトニンといえば、その昔
日本のPヴァインからも発売されていた名作「The Blues according to Lightnin'」がユーチューブにアップされております。
まだご覧になった事の無い方はお早めにどうぞ。
(削除される可能性大)


YouTube: Lightning Hopkins-The Blues according to Lightnin'(part1).MPG

パート2もありまっせ。やっぱりライトニンは最高ですね。泣き倒すビリー・バイザーというハープ吹きのオッサンもなかなかのものでっせ。