フォトアルバム
Powered by Six Apart

« 2012年2月 | メイン | 2012年11月 »

2012年3月

2012年3月20日 (火)

ハリー・チャールズ大いに語る④

Normal_harry_charles_kimbal_pianos

「という事で、かなり間があいてしまいましたが、続きの方お願いします。チャールズさん。」
「と言う事で、やあらへんがな。いつまで引っ張るつもりや?風邪ひいてまうぞ」
「平にご容赦お願いします。しゃ~けど、私も修学旅行の下見で沖縄行って来たり、入試があったりと忙しおましたんやわ。いやほんま。それでは、タレント・スカウトとして活動を始めた所からどうぞ。」
「ボー・ウィーヴィル・ジャクソンを見つけた後で、アラバマに戻り地元のミュージシャンの発掘を続けたわけじゃ。ルシール・ボーガンにカウ・カウ・ダベンポート、エド・ベルにバディー・ボーイ・ホーキンス・・・。全員、ワシが直接立会いの下でシカゴで録音させたんじゃ。たしかバディー・ボーイ・ホーキンスはバーミンガムの路上で歌っとる所を見つけたと思うぞ。」

5142384325_3f1947acb9

   エド・ベル

「ほほ~。するとその頃のパラマウントのタレントの大半はチャールズさんが見つけてきたと?」

「いや、ランブリン・トーマスとかウィル・イーゼルといったテキサス方面の連中は、アシュフォードが発見しよった。」

「ブラインド・レモンの録音をライブリーに勧めた人ですね?」

「そうそう。それからメンフィス方面には、なんちゃらワトソンというディーラーがおっての。フランク・ストークスとガス・キャノンを斡旋しよったちゅう話や。ま、いずれにせよ、パラマウントというかライブリーの方針は、タレントの発掘はワシらのようなディーラーまかせやったな。」

「ディラーはタレントを斡旋する見返りとして、パラマウントから報酬を得るという仕組みですね。」

「いや。ワシの場合はプロディ―サー料としてレコード1枚あたり2セントのロイアリティーを受け取り、タレントには半セントをワシが直接払うという契約やった。しかし、これがまた曲者でな、売上枚数をかなりパラマウントは、誤魔化しよったと確信しとるんじゃ。腹の立つ話じゃよまったく。」

「チャールズさんはタレントにちゃんとお支払いになられたんでしょうね?もちろん。」

「へ?いや、それはそれ、あれですがな。人生色々、苦もあれば楽もある。あくまで個人的な口約束であって何ら法的な拘束力のない事でもありますし・・・。回答は差し控えさせていただきたい。」

「さよか?どこかのプロ野球球団みたいなお答えですね。」

「今日、耳日曜です。」

「ところで当時のパラマウントのレコード売り上げ枚数ってだいたいどの程度やったんでしょうかね?」

「そやね。ブラインド・レモンとかマ・レイニーといった人気者で10万枚から多い時で20万枚はあったな。弱小レーベルとしてはかなりな量やで。1万枚を突破すると次回の吹き込みチャンスを与えるというのがパラマウントの方針やったみたいや。」

「さらにチャールズさん、テスト盤の事前チェックまでもされたとか?」

「さいな。従来はメイヨー・ウィリアムズが引き受けてた仕事やが、メイヨー追い落としを計るライブリーがワシの所に直接送って来よってね。『出来不出来、発売の可否の判断を願いたい』と言うてな。」

「ライブリーさんから絶大な信頼を得ておられたんですね。うーむ。」

「実は、ここだけの話、メイヨーからも引き抜きの声がかかったんやで。」

「どういう事ですか?具体的にお願いします。」

「ちょうど、メイヨーがパラマウントに内緒でブラック・パティー・レーベルの中心人物として活動しだした頃、『セールスマン兼スカウトとして私の下で働いてもらえないでしょうか』と打診してきよったんや。けっこう好条件を提示されたんやが、なんせあの時代や、黒人の下で働いてるってな事が南部で知られてみ?命が危ないがな。勿論ことわったよ。あ、それから元パラマウントで働いてたQRSのアート・サザリーからもヴランズウイックのジャック・カップからも好条件でお誘いがあってな。」

「ジャック・カップというと後にアメリカ・デッカを立ち上げた人ですね。けっこう各方面から高い評価をされてたんですね、チャールズさん。」

「ま、そういう事や。セールスにかけてはワシに敵う奴はいてなかったよってね。エヘン。そのジャック・カップやけどね、1曲あたり40ドルとレコードセールスの4%を保障するちゅうて提案してきよってね。」

「パラマウントより好条件ですね?」

「そやろ?そやねん。そこでワシもジャック・カップと契約を結ぶためにシカゴまで出かけたってわけや。ところが吃驚!駅で待ってたのはなんとライブリーの奴や。」

「あらま。」

「『今から急ぎの用があるので、本社まで一緒に行ってくれるか』てなことをぬかしよってね。結局ジャック・カップとの話はオジャンになってしもうた。どこから話が漏れたのやら・・・。」

「ジャック・カップと関係を深めつつあったメイヨーさんあたりからリークされたんとちゃいます?なかなか複雑な人間関係ですな。」

「ま、そんなことがあって以来、ワシも開き直って好き放題やらせてもらうことにしてな。カウ・カウ・ダベンポートもルシール・ボーガンもパラマウントを無視してヴランズウィックに録音させたぞ。」

「さよか。時間も無いのでぼちぼち終わりたいのですが、TVカメラの前で立ってはるお姿は、いつ頃の写真ですかね?」

「これは、ワシがアラバマで設立したピアノ会社の販売コマーシャルを撮ってる所や。大恐慌のあとレコード産業がほぼ壊滅して、ワシも苦労したが持ち前のガッツと才覚でやり直す事ができたんや。しかし、レコード界で頑張ってた頃が一番おもろかったな~。あ、そや君にお土産としてparamaunt3002番のSP盤を持って来たろと思ってたんやが、家に忘れてきてしもた。」

「なんですか?それ。」

「ヒュージ・ギブス・ストリング・バンドやがなワシの素晴らしいボーカルが聴ける貴重盤やで。」

「それは残念。(別に欲しくないけど) どうも長時間ありがとうございました。」


YouTube: 'Mamlish Blues' (1927) ED BELL, Alabama Blues Legend


YouTube: COW COW BLUES (COW COW DAVENPORT)

 

2012年3月 4日 (日)

ハリー・チャールズ大いに語る③

Normal_harry_charles_3

「前回は、レコード・セールスマンとしてのお話をお聞かせいただきましたが、本日はタレント・スカウトとしての御活躍ぶりを御伺いいたしたいと・・・。」
「よっしゃ。ワシの睨んだ通り、その後パラマウントは黒人レーベルの『ブラック・スワン』を統合し、メイヨー・ウィリアムスという黒人を実質上のタレント・スカウト兼プロデューサーとして迎え入れて黒人音楽レーベルとして確固たる地位を築いたわけじゃが・・・・。」

Photo_2

「あ、そのメイヨーさんですけどね、以前に語ってもろたことがあります。ところでパラマウントがブラック・スワンを吸収したという当時の記事ですが、ブラック・スワンのオーナーのペイス氏は、パッと見た所、白人みたいな容貌ですね?どうでもええ話ですが・・・」

「その後のブラインド・レモン・ジェファーソンの“ロング・ロンサム・ブルース”の爆発的ヒットによってて生じたメイヨー・ウイリアムズとアーサー・ライブリーとの対立がきっかけで、ワシがタレント・スカウトとして活動するようになるっちゅうわけや。」

「といいますと?」

「実の所、メイヨー・ウィリアムズは上の記事に書いてあるような正式なパラマウント社のレコーディング・マネージャーでは無くてな。個人的にタレントを見つけて来てレコーディングを行い、その報酬としてレコード売り上げのロイヤルティーやら著作権なんかをパラマウントから受け取るという立場で活動してたんや。正式なレコーディング・マネージャーはモーリス・サパーという人やったが、『メイヨー・ウィリアムズのお陰で順調に儲かってるし、社員としてのサラリーを支払う必要も無い。別にわたしが口出す事もあらへんがな』という態度を取ってはったんや。」

「ほほう」

「ところがやね。そのサパーさんの後任者として登場したアーサー・ライブリーがメイヨー・ウィリアムズにとって代わろうとする野心的な男やってな、そこから話がややこしなってきたんや。

Photo

アーサー・ライブリー

実は、ブラインド・レモンを売り出すように言ってきたのは、ダラス担当のアシュフォードという男やったんや。その申し出をうけたライブリーがレモンのレコードを発表した所が空前の大ヒットとなり、その後のオッサン弾き語りスタイル全盛を迎えるに至るわけや。」

「それまでの女性による劇場スタイルというか所謂クラシック・ブルースからカントリー(田舎)ブルースへの転換という事ですね?たしか1926年の5月やったと記憶してますが。」

「そう言う事や。ところがこの結果、ライブリーは一流のプロデューサーとして一躍世間の脚光を浴びるようになりメイヨー・ウィリアムズと張り合うようになったな。」

「火花を散らすライバル関係になっていったと・・・?」

「そのすぐ後に、メイヨーの側もブラインド・ブレイクを発見して対抗し、両者の間は、いよいよ抜き差しならない緊張状態に発展していったわけや。ま、メイヨーの方はそうでもなかったけど、ライブリーの側は嫉妬とやっかみもあって『私の方がメイヨーより売れるタレントをスカウトしてレコーディング出来る自信があります。正式な社員でもない黒人に金を出すのは会社にとっても無駄ですがな。全部わたくしめにお任せあれ。レモンの様な南部のタレントについては、私の方がメイヨーより詳しおます。』てな事を上層部に再々訴えよったな。」

「ほほう。」

「たしかにメイヨーはエリート黒人で、シカゴの都会的な音楽状況には精通してたが、南部の黒人タレントについてはほとんど知識も無かったけど、ライブリーも実の所は似たようなもんでな。ここだけの話、黒人音楽そのものを密かに嫌ってるような男やったで。」

「さよか?そうすると例の3000番代ヒルビリー・シリーズを始めたのもライブリーさんですけ?」

「そうゆうことや。ま、それはともかくそんな事情で、ライブリーから『ハリー君。誰ぞ南部の方で売れそうな黒人タレント見つけて来てくれないかね』と頼まれてね。ワシも本格的なスカウト活動に励むようになったという次第や。あ、言い忘れとったが、1923年にルシール・ボーガンをオーケーに世話したった経験もあってな。自信を持って承諾したんや。」

「その第一発目が、ボーウィーヴィル・ジャクソンになるわけですね?」

「そうそう。」

「しかし、おたくさまも、いきなり最初から他の会社と二股かけるとはエエ根性してますな。」

「ははは。」

「と言う事で、本日は歴史的なブラインド・レモン・ジェファーソンの『ロング・ロンサム・ブルース』をお聴きいただいて。次回へとつづきます。」

「あれ?もう終わり?もうちょっと語らせてもらわんと・・・。」

「私もちょっと疲労気味でんねん。すんまへん。」


YouTube: 'Long Lonesome Blues' BLIND LEMON JEFFERSON (1926) Texas Blues Guitar Legend