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2012年2月

2012年2月27日 (月)

ハリー・チャールズ大いに語る②

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「少し間があいてしまいましたが、続きをお願いします。ハリーさん。」
「よっしゃ。パラマウントが本格的に黒人向けレーベルとして活動を始めた経緯については
前回ちょっと話したと思うが、問題は南部での販売ルートの開拓にあったわけや。
なんせ当時は、最大の顧客と考えられる黒人人口の9割近くが南部に住んでたもんやさかい、ここを押さえん事にはどうにもならん。」
「なるほど。」
「親会社のウィスコンシン・チェア・カンパニーも結構大きな家具メーカーやったが、南部には販売ルートは皆無や。そこで一からスタートする必要が出て来たわけじゃ。」
「そういう時に卸売先として契約にこぎつけたのがバーミンガムに本社を置くフォーブス・ピアノ・カンパニーだったわけでしょ?なんでも、ハリーさんの進言が大きかったとか?・・・。」
「そういうことや。ワシも既に辣腕セールス・マネージャーとして信頼されてたから『パラマウントと契約しなはれ。今の時代、黒人家庭も3軒に1軒簡易型の蓄音機がおまっせ。このビジネスチャンスを逃す手はおまへん』とか社長に言ったら即決やった。わははは。それに、小さい頃から黒人音楽にワシも心惹かれる所も大きかったし・・・。」
「しかし、小売店の開拓とかが大変やったのとちゃいます?」
「そらそうや。『何が悲しゅーて黒人向けレコード扱わなあかんねん』『儲かるかもしれないけど、黒人客に出入りされるのも、ちょっと困りまっせ。』てな風潮が一般的やった南部の事や、一口では語りつくせん苦労もあったよ。しかし、それにもめげずワシは宣伝マンとして南部諸州を車で移動しながら営業に努めたぞ。週に2000マイルは走ったで。3カ月に1台、新車も乗りつぶすほどやったな。おかげで、調子のエエ時には1日に500ドルの契約を取る事もできたがな。はははは。そうこうしてるうちにパラマウントがワシの目ざましい働きぶりに注目しよってな、『いっそのこと、うちの会社に来てもらえませんか』ちゅうてヘッド・ハンティングされたわけじゃ。」
「ほ~。こういう写真↓の様な感じやったんでしょうね?」

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「ま、そんな所やが・・・。ワシはもっとエエ男じゃぞ。」
「えらいすんまへん。」
「しかし、契約にこぎつけるためには色々と知恵を絞ったで。」
「といいますと。」
「たいがいは、ワシの舌先三寸で話は済むのやが、どうしても頑固なディーラーも中にはいててね『大手のコロンビアやビクターならともかく、わけのわからんメーカーのレコードは取り扱わん』と来たわけや。それであの時は数名の黒人にお金を掴ませて『パラマウントのレコードおまへんか?』と一芝居打たせてね・・・・たしか200ドルか300ドル売りつけたったぞ。はは」  「わりと古典的な手法ですね?」 

「それと、厄介な時には直接レコード吹き込ませた説教者を使ったりもしたぞ。」

「といいますと?」

「当時アラバマで人気のあったJ・Oヘーネスちゅう説教者がいててな。そのピクチャーレコードまで作った事もあって、ヘーネス師に言う聞かんミュージックショップに出向かせて説教させたんや『今や仏蘭西は神から背を向け、悦楽を欲しいままにする民族的自殺の道に落ち込んでしまった。英吉利も亜米利加も、いかがわしい飲み屋や酒場によって酔っ払い天国に堕落しようとしておる!パラマウントをよろしくねheart04』ってなもんですわ。」

「そのレコードちゅうのは、3000番代の白人向けヒルビリー・シリーズですね。これだっか?」

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「そうそう。しかし、この3000番代、結局3323番まで出たんやが、売れ行きはパットせなんだぞ。ま、それはともかく、レコードを売ってくれそうな場所にはすべて足を運んだで実際の話。家具屋はもちろんの事、プランテーションの雑貨店、宝石店に靴磨き店、散髪屋からキャンディー・ストア・・・・・」

「そんな場所でもレコード売ってたんですか?」

「そう言うこっちゃ。もっとも最大のお得意さんはデパートやで勿論。プレハブの仮設販売ブースを作らせてもらったり、ラウド・スピーカーで音楽を流してもらったりして結構儲かったぞ。週に6000ドルの売り上げがあったデパートもあったんやで。」

「左様か。というわけで、話ばっかりも何なので本日は、アルバータ・ハンターを聴いてもらいませう。」


YouTube: 78 RPM: Alberta Hunter - You Shall Reap Just What You Sow

「あ~懐かしや。アルバータさん。初期パラマウントの最大の功労者やで。しかしあいかわらず音がナニやね?」

「なんで、こんなにスクラッチ・ノイズが多いんですけ?やはり技術的な問題ですかね?」

「というより、材質の問題や。含まれてるシェラックの量が少なすぎるんや。これも経費を抑えようとする会社の方針の結果といえるな。」

「といいますと?」

「だいたい当時の常識として、良質レベルのレコード100枚を作製するには少なくとも1ドル50セントが必要と考えられてたんやけど、絶対それ以下の経費で済ませようとするのがパラマウントやったんや。」

「あらら」

「そんなわけで、音質の悪さというのも他のメーカーに比べ不利な点でやったんや。録音技術が機械録音から電気録音に移行するようになってから、ますますその欠点が大きく目立つようになってきてしもうた・・・。」

更に続く


2012年2月20日 (月)

臨時ニュース

既に知ってはる人は知っているでしょうが、知らない方にアッ!と驚く重大ニュース!
な、ななんと、あのサニーボーイⅡとロバート・ジュニア・ロックウッドの若き日の映像が
遂に発見されましたぞ。
それも、総天然色でっせ。総天然色。安物のピンク映画みたいなパート・カラーちゃいまっせ。
実は、この映像、リンクを貼ってもらってるオギテツさんとこで知った次第ですが
いや~、吃驚ですね。
なんでも、あの伝説的なラジオ番組「キング・ビスケット・タイム」のスポンサーのマックス・ムーアというオッサンが記録したものらしく、最後の方のいかにも素人くさい重ねられた見苦しいところもありますが(16ミリフィルムでしょうか?このあたりの解説をぜひ、その道のプロ、ガチャコ氏にお願いしたいところでございますが)「何でもっと早くに公開してくれなかったのや!」と言いたくなる歴史に残る映像ですね。
それにしても1942年といえば、あのロバート・ジョンソンが亡くなってまだ4年。昭和で言えば
17年。まだ太平洋戦争が始まったばっかりですがな。
「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」てな事で必死やった日本に比べ、この脳天気さはどないだ?
という事で、衝撃の映像をどうぞ!ただし音声は残念ながら記録されておりません。


YouTube: King Biscuit Time (1942, 1952)

2012年2月11日 (土)

ハリー・チャールズ大いに語る

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という事で、無理に?来ていただいたハリー・チャールズさんにお話しを伺いたいと思います。

「よっしゃ。よっしゃ。どうしてもワシのパラマウントでの活躍を聞きたいようなので、ざっとパラマウント、正式にはニューヨーク・レコーディング・ラボラトリー社についての話からまずお話してあげよう。よいかな?」

「そのあたりは、私もある程度知ってまっせ。ウィスコンシン・チェア・カンパニーちゅう家具会社の子会社で、チャーリー・パットンやらブラインド・レモン、ブラインド・ブレイク、スキップ・ジェームスからマ・レイニー・・・・。ブルース史を語る上で真っ先に挙げられるレーベルですがな。SPコレクターの垂涎の盤もたくさんおますね?私も何度もオークションで挑戦してるんですが、高くて手がでませんねん、有名どころは。・・・1枚おくれ。」

「なんでやねん。しかし、会社の実態はちょっと、というか、かなり胡散臭い所があってな。」

「と言いますと?」

「儲かるようになってから、税金対策として色々と策を考えよった結果、1923年から24年の間は誤魔化して活動休止ちゅうことにしよってな。とうとう1926年には、法人としての報告を怠った為に会社としての公的権利を剥奪されてしもうた。」

「い~っ!えらいことですやん。大変ですやん。」

「いや。それがそうでもなかったのや。会社の重役連中は『これで、税金を納める必要も無くなったし、訴えられても大丈夫になったぞ。なんせ、表向き、会社自体が存在してない事になったよって。わははは。』ちゅうて、どこ吹く風や。」

「確信犯的犯行ですね。いやほんま。あ、それで、ブラインド・レモン・ジェファーソンさんが堂々と本名でオーケー・レーベルに吹き込んだりすることが出来たんですね?」

「そう言うこっちゃね。パラマウントも訴えたくても、訴える事が出来なかったわけや。」

「ところで現在の所、私、パラマウント盤は、以前に御紹介したパパ・チャーリー・ジャクソン以外にルシール・ヘガミンのを持ってるんですが・・・。これについて一言お願いします。」Cimg1480

「あ、これはニューヨークの貸しスタジオで録音された奴やろね。メイヨー・ウィリアムが活動する以前でパラマウントが10万ドルの赤字を出して苦闘してた頃の作品やな。まだ、本格的に黒人向けのレース・レーベルとして踏みだす前の作品や。」

「なるほど。それで番号がレース・シリーズの12000~13000番代で無いわけですな。」

「そう言うことや。そもそもレコード産業に全く無知な連中が、蓄音機やレコード販売で儲けようと考えたのが甘かったな。パラマウントは、当時のポップスとかドイツ系移民向けの音楽とかを売り出そうとしたけど、これがサッパリやった。ノウ・ハウが無いために録音は、自前ではできず、また、せっかく完成させたグラフトンのレコード・プレス工場も、唯一の黒人レーベルのブラック・スワンからの受注でなんとかやって行けてる状態やったらしい。」

「へ~。そういう背景があって、黒人マーケットに向けて本腰を入れるようになったわけですか?パラマウントも。」

「オーケーのマミー・スミスやブラック・スワンのエセル・ウォーターズが大当たりをとったという実績はあったものの、あの頃はまだまだ黒人用のレコードを吹き込む事には、各社とも二の足を踏んでた事情もあってな。『生き残るには決断が必要や。この際、思い切って行ってまえ!』というセールス・マネージャーのモーリス・サパーの一言で決まったって事や。たしか1923年の夏頃やったな。」

「その頃ですね?チャールズさんがパラマウントとかかわりを持つようになったのは。」

「さいだす。ときに、ここらで一服してルシール・ヘガミンの作品でも聴こやないか。」

「わっかりやした。」


YouTube: He may be Your Man but He comes to see me Sometimes - Lucille Hegamin - Puritan Record 1922

「ピューリタン盤かいな?」

「パラマウントの姉妹レーベルみたいなもんでっしゃろ?」

「こっちの方が安いな。パラマウント盤は当時の小売価格が1枚75セントでな。工場出荷時の卸売価格が27セント半。小売店には45セントで売られてたんや。なかなか大変だとは思うけど、君も頑張って木下さんみたいにチャーリー・パットンの1枚でも手に入れるよう努力しなさい。」

「無茶な事言いなはんな。全部あわせても世界に100枚ほどしか無いらしいですがな。貧乏人には、ぜったい無理!!

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Normal_pic14      

               続く