フォトアルバム
Powered by Six Apart

« 2008年8月 | メイン | 2008年10月 »

2008年9月

2008年9月27日 (土)

Yukadan-Blues 1973-1975

Photo

先日、職場の実習助手の先生と世間話をしていた際、たまたまその方の出身高校の大阪市立K芸高校の話題となったので「K芸高校といえば、知りはれへんと思いますが、憂歌団ちゅうバンドが有名ですのやけど・・・。ひょっとして御存知ですか?」と尋ねてみました。
すると「知ってるもなにも木村君とは、幼稚園から高校まで一緒やったんよ。高校では科は違うかったけどね。たしかあの子は、美術科やったはずやわ。浅川マキを見に行った時に、
憂歌団を初めて見たと思うけど、『あ!木村君が演ってるやん』とビックリしたん覚えてるわ。あの子は、昔とあんまり変わってへんよ。小学校の学芸会の時に鬼の役やりやったんやけど、それがまー、ピッタリ嵌ってて大笑いやったわ。なんせあの声で・・・」(以下、長々と思い出話が続いたので省略)という意外な答えが返ってまいりました。

という事で、本日は急遽予定を変更して、(ま、本当は毎回出たとこ勝負ですが)憂歌団によるブルースのスタンダード作品演奏のみを集めたアルバムの御紹介。曲は全てマディー、エルモア、サニーボーイⅠ、タンパ・レッド。ロバート・ジョンソンらの有名なものばかりですが、ただ単にコピーに終わるだけでなく、彼等独特の個性が発揮されていてナカナカの力作となっております。

で、本日のオマケは「たくわん」

と「当たれ宝くじ」(勘太郎氏のメンフィス風アグレッシヴな電気ギター引きまくりにはビックリしました。)

2008年9月23日 (火)

ウィルバート・ハリソン

Photo_2

せっかくの休日やったと言うのに、本日は、朝から漫画「ハリスの旋風(かぜ)を読みふけってしまい気がつけば太陽も沈んでしまっておりました。
さて、このハリスの旋風ですが、ちばてつや氏が「明日のジョー」を世に出す前、「ちかいの魔球」後に発表した作品でありまして、40歳代以上の方々には懐かしい思いがあるのではないでせうか。
主人公の石田国松少年が、野球・剣道・サッカー・ボクシングにと大活躍する古典的学園物ですが、ええ歳したオッサンを今でも夢中にさせる傑作と思っております。
Cimg0998

とまー前置きはこのぐらいにして、ハリスの旋風といえばウィルバート・ハリソンさんですね。
(何でや?と突っ込まないようにお願い。bottle

実は、この方の映像が無いものかと例によってユーチューブで検索したところ、ありましたありました。代表作の「カンサスシティー」を演奏してはるやつが。(個人的にはリトル・ウィリー・リトルフィールドの原作K・C・ラヴィングの方が好みですが。)ところがこれ、最近世間を騒がせている偽装米ならぬ偽装演奏である事がわかりました。レコード音源そのまま使って、あたかも演奏してる様に見せかけておりますね。何といってもこの作品、途中で切り込んでくるワイルド・ジミー・スプルーイルのギターが聴き所なのですが、その所でバックでギター弾いてる?白人のお兄さんをアップにしたりするもんやさかい、一発でわかってしまいました。(このお兄さんも気の毒といえば気の毒ですね。それと、ウィルバートさんの「坊ちゃんとうちゃん」みたいな髪型どないかならんかったんやろか?)

ところで、カンサスシティの裏面のLISTEN MY DARLING聴いて「ジョニー・ギター・ワトソン」を思い浮かべたのは私だけでしょうか?

リトル・ウィリー・リトル・フィートの原作はコレ

ワイルド・ジミー・スプルーイルの切れ味鋭いギターはコレをどうぞ。

Photo_3

ジミー・スプルーイル

2008年9月20日 (土)

柔道部大健闘

Photo_2

いやいや。怒涛の前期期末試験も無事終了し、やっとブログを書く時間ができました。
さて、この間、本校の柔道部が大阪府予選で大健闘を見せ、定時制近畿大会に4名の生徒が出場することになりました。
以前御紹介させていただいたUさんは、惜しくも敗退しましたが(夏休み中にめでたく3人倒して初段を取り念願達成!)、日頃のUさんの頑張りに感じる所があったのでしょう、これまでは、「学校終わってまで、なんでクラブ一生懸命せなあかんねん。家に帰ったら11時やがな。次の日の仕事にこたえるやん。」と、もひとつ身が入らなかったK君が奮起して75kg超級で2位の成績。真面目すぎるくらい真面目な我がクラスの姐御Fさんも女子の部2位と頑張ってくれました。

今年は、バドミントンの全国大会にも我がクラスから女子2名が出場を果たしたし、担任としては笑いが止まらん年になりそうです。    と言いたいところですが、実は最近、暗いニュース続きです。人気者のあの人による教育予算削減のあおりで、全国大会に出場する生徒の旅費・宿泊費補助額が半分にされてしまうわ、来年度から法律に基づいてずーーと続いてきてた定時制生徒への教科書無償給付制度が廃止になるわ、(国から下りてくる予算を一般財源化に伴い他の事に使うらしい。電飾?規制緩和を弱いものいじめに使うか?)、非常勤講師時数が大幅にカットされる予定やら・・・。

もう、ムチャクチャでごじゃりますわ。あ、それと今年から修学旅行などの付き添い時の食費についても、自腹を切って払わんならんことになってしまいました。「これではいけない。何とかせねば。」とは思うのですが、残念ながら現場の生の声は、なかなか世間に広まらず、かえってあの知事さんを批判したり逆らう者には、マスコミから悪者のレッテルが貼られてしまう今日この頃。

えらいことになってきました。






2008年9月13日 (土)

ロスコー・ゴードン大いに語るⅣ

Photo

「あの曲は、今も言うたように最初はキングでレコーディングするつもりでオーディションも受けたんやが、ラルフ・バスのオッサンに『その曲は売れそうも無いな。他の会社へ行ったら。』と断られたんや。そこで、プロデューサーのカルビン・カーターに勧められてシカゴのヴィー・ジェイで録音したんや。1セッション250ドルの契約でね。」

「それが結果的に大ヒットとなったわけですね。よかったですやん。」

「ええことあるかいな!ラルフ・バスのオッサンに著作権を横取りされてしもて、こっちには印税も何も入って来んようになったがな。あのボケ、ワシに無断でオーディションの時にテープ回しよってな。知らん間に自分を作者として登録しよったんや。」

「酷い話ですな。聞くところによると『ジャスト・ア・リトル・ビット』は、他人の作品も含めると400万枚も売れたらしいですね。」

「そやがな。そこで後日、カルビン・カーターに『ヴィー・ジェイもこの曲でだいぶ潤ったんやから、ちょっとは私にも還元してもらえまへんか』ちゅうて交渉したんや。」

「ほー。」

「そしたら、『ロスコー君。君の気持ちは十分理解できる』ちゅうてね、秘書を通じて小切手を渡された。」

「ええ人ですやんか。カルビン・カーターさんって。」

「どこがやねん!小切手の額面、僅か25ドルや。『こんな端金いるかい!』ちゅうて突き返したったぞ。しかし、あの時は情けのうて涙が出たで。ま、あの頃は、たいがい1セッションいくらの契約が普通で、レコード売り上げの利益は、すべてレコード会社に行くようになっとったからな。レーベル・オーナーも、ほとんどは胡散臭い人間やったで。」

「デュークのドン・ロビーさんは、どうでしたか?」

「あのオッサンは、筋金入りの悪党やな。いっつもピストル携帯しててな。言うこと聞かない人間には、情け容赦無く暴力をふるいよったで。リトル・リチャードなんて、気の毒に、ボコボコにされて病院送りや。」

「ロスコーさんも災難にあわれたとか?」

「あ、心配してくれてありがとう。見てのとおり、ワシは気の弱そうな典型的イジメられっ子タイプやろ?」

「・・・・。」

「案の定、録音を巡って揉めたときに、ドン・ロビーが『ワシを誰や思とんねん!なめてたら承知せんぞ!』ちゅうてワシの事を蹴り上げようとしよった事があったんや。」

「えらい事ですがな。」

「そこでワシは、間髪を入れず上着からピストル抜き出してやね、『おーっと。その足をどうするおつもりですか?あんたのキックが先か、弾丸がその足にめりこむのが先かですな。』と・・・・。ま、紳士的・穏便に話をつけたわけや。それから、あのオッサンもワシの前ではおとなしくなりよったな。わはははは。」

「どうも、色々と貴重なお話ありがとうございました。」

「え?もう終わりかいな?1969年に念願叶って設立したワシのBab-Rocレコード会社の話とか、まだまだ言いたりんのやが。」

「すみませんが、閉店の時間ですんで。またの機会にお願いいたします。」

「残念。」

おしまい。

2008年9月10日 (水)

ロスコー・ゴードン大いに語るⅢ

Photo

「え~と、それでは話を『サリー・ジョウ』に戻しますが。この曲はサム・フィリップスが黒人のバックに白人ミュージシャンを起用した画期的な作品としても知られていますね?ビリー・ライリーとかローランド・ジェインズと言う人達は、サンのスタジオ・ミュージシャンやったんですか?」

「また、君はわけのわからん事を言いだしたな。そんな連中、聞いたことも見たこともあるかいな。あの曲は、全員当時のワシのバンドの連中と録音したんや。ワシは、一回も白人をバックに録音した経験は無いぞ。」

「ありゃま。」

「サム・フィリプスは、たしかに黒人音楽には理解があった好人物やったが、こと、人種のちがうミュージシャン同士の共演には消極的やったな。ま、時代が時代やったよって、無理もない話やけどね。」

「すると、白人ミュージシャンのバックを務められた事も・・」

「無いな。そう言えば、一度だけエルビス・プレスリーから『ロスコーさん、バックでピアノ弾いてもらえませんか』ちゅうて頼まれた事があったけど、サム・フィリップスが『ロスコーは、君の演る様な曲は出来ん。』ちゅうて断りよったな。まだ、エルビスがペーペーの頃の話しやがの。知ってるやろ?エルビス。ドーナツ好きの男や。」

「知ってます。すると、この写真はその時に撮られたものですか。」

Photo

「そうそう。サン・レコードのスタジオで撮ったんや。懐かしいの~。しかし、君もよっぽど暇なんやな。こんなもん探し出して来るとは。」

「いや、暇ちゅうたら暇やし、忙しいちゅうたら忙しい。」

「話ばっかりでも何やから、ここらでもう一発ユーチューブでも紹介したらんかいな。」

「はいはい、それでは今度はコレでどうでっしゃろ?」



「『ジャスト・ア・リトル・ビット』・・・・。」

「さいな。リトル・ミルトンも演ってましたな。」

「君、ワシに喧嘩売ってるんか?これも苦い思い出の曲やんけ。」

「め、滅相もない。 どういう事です。」

「この曲な、最初はシンシナティーのキングレコードに売り込みに行ったんや。演奏旅行の終わりにね。あの時のツァーは、ルース・ブラウンやブルック・ベントンと一緒やった。ウィルバート・ハリソン、ジミー・マクラクリンもおったな。それから・・・。」

「ロスコーさん。」

「なんじゃいな?」

「演奏旅行で一緒やったメンバーはどうでもよろしい。チャッチャと話を進めてくらはい。」

ひつこく続く。

2008年9月 5日 (金)

ロスコー・ゴードン大いに語るⅡ

Photo

「すると、『メンフィス・ビール・ストリーターズ』というグループなんて存在しなかったわけですね。

「ま、そういうこっちゃろ。ワシの知る限り『ビール・ストリート』という名前を当時使ってたのはビール・ストリート・ブルース・ボーイ、つまりB・Bキングだけやった。」

「ところで、ロスコーさんは、かなり若い頃から音楽で稼ぐようになられたとお聞きしてますが、どういうきっかけで音楽の世界に入られたのでしょうか?」

「きっかけもなにも、ワシは小さいガキの頃から家にあった母親のピアノを弾くようになってな。気がついたらこの世界に足を踏み入れてたという感じやな。
1950年頃やったか、たまたまビール・ストリートにあったパレス・シアターちゅう所で開かれたアマチュアコンテストで優勝してね、その次の週からWDIAちゅうラジオ局で自分の番組を持ったのがプロとしての最初の仕事やったんや。あれは16歳の時やった。」

「ほー。」

「早いといえば、最初の結婚も早かったぞ。ワシの場合。15歳で結婚したもんね。」

「ひぇ~」

「ま、それも3週間で破局や。ってほっといてんか!人の事。何を言わすねんな。」

「お宅様が勝手にそんな話始めたんですがな・・・・。」

「あ、そやったかいな?そんな事はともかく、ラジオ局の仕事が入ってまもなく、サム・フィリップの所へ行って最初のレコーディングをしたわけや。」

「『BOOTED』ですね?」

「そやがな。それがあっちゅう間に大ヒット!ま、順当な結果ではあったがな。わはははは。」

「・・・。さて、ロスコーさんの初期の作品は、西インド諸島の『スカ』なんかとの類似点が多いといわれてますが。」

「そうかいな。」

「若い頃は、どういう音楽やミュージシャンに影響を受けられたのでしょうかね?」

「何を言うてんねん、君。何の影響も受けてるかいな。ワシは生涯ずっとオリジナルで通してきたんや。猿まねやらコピーなんぞとは無縁じゃ。」

「あ、これは失礼つかまつりました。ところで、ブラック・ロカビリーとも評される曲『サリー・ジョウ』ですが、かなりカントリー臭の強い作品ですね。カントリー・ミュージックにも関心がお有りだったんでしょうか?」

「お有りも名古屋もあるかいな。ワシはカントリーのミュージシャン兼作曲家でもあるんやで。」

「い~~?。さ、さよか。」

「ところでロカビリーって日本でも流行ったんかいな?」

「だいぶ昔に大流行したらしいです。私は当時、まだ小さかったから覚えてませんがね。ちょうどその頃のニュース映像があるので見てください。」

「うわ~。ムチャしよるステージから引きずり下ろされてしもてるがな。あー恐ろし。日本の女性は、大和撫子とかいって皆おしとやかな性格と思ってたのに・・・。」

「そら偏見でっせ。」

「するとなんですか。福井の「ぢさん」というミュージシャンも毎月こんな危険な目に遭ってるんやね?」

「さー。どないですやろか。」

更に続く