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2007年5月

2007年5月27日 (日)

帝塚山音楽祭

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昨日、帝塚山音楽祭に行ってまいりました。
帝塚山といえば幼少の頃、母親から「あそこは大豪邸が建ち並ぶハイソサエティーな町やさかい、貧乏人がウロウロしとったら捕まるで。けっして近づかない様に。」と耳にタコができるぐらい聞かされてたこともあり、この歳になるまで行ったことがなかったのですわ。
しかし、実際いって見ると、芦屋の六麓荘やビバリーヒルズ(行ったことないですけろね)みたいな雰囲気では無く、けっこう庶民的な部分もあってよかったです。
ただ、暑いのには難儀しました。「豚まん」喰いながらフラメンコなんぞを見てたのですが、下着まで汗でグッショリとなってしまいました。
ところで、フラメンコ踊ってられた女性の方々ですが、これがまた、お若いのか、別嬪さんなのか判別できなんだ。
このあたり実に難しいですね?先日も、化粧せずにスッピンでいた女生徒に間違って「君、君。誰の友達か知らないけど、勝手に教室に入り込んだらあかんがな。悪いけど、校門の外に出てくれるか。」と不用意な注意をしてしまい、吊し上げにあってしまった私でございます。
化粧の効果おそるべし!
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上の画像は万代池の噴水。
池の周りをうろうろと回ってるうちに方角がわからんようになってしまい、泣きながら南海高野線帝塚山駅に、ようやく辿り着きました。

2007年5月25日 (金)

ジョニー・オーティス&ライオネル・ハンプトン

どうも最近調子が出ず、仕事の方も停滞気味でございます。
こんな時には軽快で元気の出る音楽が聴きたい。
ということで、本日は、先日チョロっとだけ登場したシュギー・オーティスのお父ちゃん、ジョニー・オーティスの映像を見て頑張っております。

Martie Adams and the Three Tons of Joyという、ちょっとふくよかな女性グループ(ドクターさん好み?)の振り付けをご参考に、さー皆さん、御一緒に手拍子を!
しかし、バックの切れ味鋭いギターはカッコええですね?
ピート・ルイスさんでしょうか。
最後にライオネル・ハンプトンが登場するところで映像はとぎれてしまうので、この人をタップリと見れる下の映像をご覧あれ。
横山ホットブラザーズもビックリ!

2007年5月22日 (火)

フレディー・キング ライブ

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本日はご存じフレディー・キングさんが、亡くなられた1976年に残したテキサスでのライブ盤。
さすがは大物。素晴らしい演奏を繰りひろげて・・・と言いたい所ですが、個人的には、どうも仰々しさが気になるというか何というか・・・。フレディーさんには悪いのですが、もう一つ感心しない作品です。Pヴァインから発売されたものにしては歌詞カードが入ってるだけで、何の解説も無いし
8曲だけしか収録されてないのも不満が残るところでございます。「天下のフレディーさんに向かって、何を生意気な!
手打ちにいたす!」とご立腹される方もおられるかもしれませんが、どうなんでしょうかね?バックのバグズ・ヘンダーソンバンド(ネットで調べるまで全然知りませんでした。)が悪いのか、プロディーサーに問題があったのか・・・。
だいたいフレディーさんの17顔面花からして気色悪いです。(誰やこんなデザイン考えた奴は!)
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と、文句を垂れてしまいましたが、同じ年の女性刑務所慰問映像ではフレディーさんも生き生きしてはります。
シュギー・オーティスと二人だけの生ギターによる演奏ですが、鉄格子ごしに看守も囚人も一体となって大喜びしている様子が楽しいですね?

2007年5月17日 (木)

悪夢・・・

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「お父さん、私こんど結婚することに決めたから」
と愛娘から突然のショッキングな発言。
「い〜〜〜!け、結婚って、オマエまだ19になったばっかしやないか。突然何を言い出すんや」
「そんなもん、何時結婚しようと私の自由やんか。常日頃から何事も最終的には自分で責任撮って決定するように、と言うてたやんか。あれは嘘やったん?」
「い、いや。それはそうやけど。それはそれ。これはこれと言うことで・・・。ところで相手はどんな男や?」
「もちろん素敵な人やで。マルコムXそっくりでね。」
「マルコムXとな?ムムムム。」
と、突然その男が現れるのですが、これが又、平和ラッパと
えべっさんとイシュマン・ブレイシーを足して3で割ったような容貌。『どこがマルコムXや。まるこめペケポンやないか』と落胆しつつも『いやいや人間は見かけやない。中身が大切や』と思い直して会話をした所、皆目話が通じない。
「カエルもミミズも皆御免。世界の国からこんにちわ」
とか訳のわからん事を口走るだけ。
AQ(@net dictionary参照の事)も最高水準に達してる様子。
おまけに娘が言うには、住所不定無職、勤労意欲0の大食漢という話。
「わ、ワシは絶対反対や!この話、断固阻止するぞ!」
「けど、お腹の子どもはどうなるの?」
「ひえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

という様なおぞましい?夢を見てしまいました。
可愛い娘さんをお持ちの方々、人生何が起こるかわかりません。その日に備えて心の準備をしておきましょう。
いやー、それにしても夢でよかったよかった。

2007年5月10日 (木)

マーシャル・オーエンス

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さてさて、早いものでGWも終わり、5月も中盤にさしかかっております。
Blues Images Calendar も4月のマーシャル・オーエンスからアイダ・コックスに替わっております。さて、マーシャルさんといえば1931年のキングソロモン・ヒル、ベン・カリー、フェイマス・ブルー・ジェイ・シンガーズとのパラマウントセッションで有名ですが、この人の人物像をある程度明らかにしてくれたのがコレクターのドン・ケントなる人物。1968年頃から調査を開始いたします。「この謎のブルースマンの正体を解明したろやないか。私はマーシャル・オーエンスを応援す」ちゅうてね。・・・・・失礼。           そこでケントさん、早速ニューヨークのNYCに保存されている各州主要都市の古い電話帳を片っ端から調べましたな。その結果、遂にアラバマの電話帳にマーシャル・オーエンスの電話番号を発見します。しかし、ここからが又大変、この電話が全然繋がらない。普通なら諦める所ですが、ケントさんは我慢強い。しぶとく断続的にかけ続け、ようやく1975年になって遂にオーエンスの甥が電話口に出ましたな。「・・・その叔父さんというのは、ひょっとして昔パラマウントに録音したミュージシャンですか?え?そう?間違いない?まだ生きてはる!?やったー!!」とケントさん、喜び勇んでアラバマへ飛びます。しかし、マーシャル・オーエンス本人とは、現在養老院で療養中との事で直接会えず。それでは、と養老院まで直接出かけた所「あ、その人なら去年に亡くなりましたで。」と言う実も蓋もない返答。
がっくりと肩を落とすケントさん。今一歩の所で調査は終了したのでした。      しかしながら甥からの聞き取りと死亡証明書により以下の事実が判明いたしましたな。
  �マーシャル・オーエンスはジョージア州のタルボットで生まれた。
 �ルシール・ボーガンやウォルター・デイビスが吹き込んだ曲「Red Cross Store」は「ワシが作った曲や。盗みくさって」と常々憤っておられた。
  �1934年に失業するまで時給40セントで建設関係の仕事に従事していた。            �第二次大戦後、エレクトリック・ギターを購入し、50年代まで演奏活動を続けていた

  �50年代末に脳溢血で倒れ不自由な体となったため、ルビー・ヒル養老院での生活を余儀なくされる。しかし元気で頭脳も明晰であった
  �だんだんと呆け症状が進んだため甥もめったに面会に行かなくなった。
  �1974年5月1日に死亡した。
  �オーエンスは自分の吹き込んだレコードを持っていたが、かなり昔に処分したか紛失したらしい。
  �オーエンスの写真は存在したが、甥がある事情から処分してしまった。
しかし、未解決のまま残されたのがオーエンスさんの生年月日。
死亡証明書には1890年3月15日とあるので判明したかに思われたのですが、ところがどっこい、社会保険死亡者リストには1890年12月2日、さらに近年発見された1944年付の社会保険ナンバーには1892年7月11日とあって(おまけに49歳と記入されてて、計算が合わん)「どないやねん?」と言いたくなる状態。
さらにギターはどんなものを使ってるのか、1人で弾いてるのか、それとも二人で弾いてるのかという点も見解がわかれており、デヴィッド・エバンスは、これは12弦ギターのようにも思われるけど、二人で弾いてるのかも知れませんね」と言ってるのに対しポール・スィントンさんは、「これは、間違いなく1人で弾いてますな。ギターは12弦です。チューニングは通常のやり方ではなく、バーベキュー・ボブがよくやったダブル・ストラングもしくは、一部ダブル・ストリングですわ。」と言ってますな。
ま、そもそも十二弦ギターのチューニング方法も知らない私には、「ダブル・ストリングって何のこっちゃ?」とさっぱり解らないところですけどね。
え?オマエ、そんな事も知らんのかい。ひっこめ!って? そないポンポン言わんでも・・・。

ちなみに、未だ発見されていないマーシャルさんのSP(Paramount 13131)ですが、$15,000でブルース・イメージ社が買い取ってくれるらしいです。
  山崎氏や木下氏なら、ひょっとして秘蔵されてるんとちゃうやろか?

本日のオマケはバディー・ガイ。
珍しく黒縁眼鏡をかけての演奏です。
英国でのテレビ放送でしょうか?サックスはACリード。
ドラムはモーリス・ホワイトでしょうか。え?ちがう?
他のメンバーはわかりません。

2007年5月 5日 (土)

CIGER BOX GUITER

「昔は本物のギターを買う金がなかったもんで、シガー・ボックスを使って手製の奴を作ってね・・・。」と、実に多くのブルースマンが若い頃を回想して語っておりますが、なんとまー、その伝統のシガー・ボックス・ギターを製造販売されてるJohn McNairという人のサイトを見つけました。
なかなかこの方、アイデアマンのようで、ベーブルース仕様やらレイ・チャールズ型から、異国情緒溢れるsamuraiモデルも開発されてる様です。しかしこれ、
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お茶のCMかなにかのキャッチコピーがそのまま使われてるのが残念ですね。おそらく「あ、これは日本で使われてる文字にちがいない、何書いてあるのかわからんけど、雰囲気出すために適当に使ったろ」と思ったんでしょうね?
このあたり、横文字を使ったTシャツが巷に溢れかえる本邦の状況と、どっこいどっこいの気もします。
「ありきたりのギターには、もう飽き飽きした。
世間をアッと言わす奴が欲しい」と思われる方は
ぜひご購入を。    とは、よう言いませんがね。

2007年5月 4日 (金)

世紀の対決、その後。

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さてさて、世紀の一戦もあっけなく勝負がついてしまいました。映像には残っておりませんが、3R以降は、一方的な展開となり、ジョンソンがジェフリーズのパンチを悉くブロックしながら、リングサイドの報道陣と笑いながら冗談まで交わす場面もあったらしい。
ま、それは兎も角、ジョンソン勝利の喜びに沸く黒人達は、「ジャック!ジャック!」と歓声を上げながら通りを埋め尽くしましたな。一方、敗れた側の白人達の中には、無差別な黒人への報復の為の襲撃を始める者もあり、反撃する黒人との間で銃撃戦まで始まるという、大変な事になってきました。全国各地で暴動が始まり、この日だけでも最低11人が死亡したといいます。(最終的な被害者総数は不明)
こうなると、議会も黙視してる場合ではございませんな。
早速この一戦の記録フィルムの上映を禁止にいたします。
さらに、勝者のジャック・ジョンソンは、「非道徳的な目的で白人女性を州堺を越えて連れ出した」というでっち上げの罪状でもって起訴され、国外逃亡を余儀なくされてしまいます。
まー、えらい後味の悪い結末となったわけですが、ジョンソンが冬の時代を送っていた当時の黒人達に与えた希望の光は、実に、大きかったものと思われますね。
ちなみに敗北に打ち沈んだ白人社会は、この後すぐに「密林の王者ターザン」という映画を作り上げ、ファンタジーの世界に「大いなる白人の希望」を見いだしたとさ。
おしまい。

というわけで本日のオマケはコレ

14年前に廃線になってしまった南海電鉄天王寺支線。
いや〜、懐かしい風情ですね?旗を振る踏切番の姿が涙を
さそいますね?
え?ボクシングと何の関係があるねん、て?
そんなもん、おまっかいな。

世紀の対決

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時は1910年7月4日の独立記念日。アリゾナ州リノの町では、ボクシングのヘビー級タイトルマッチ、ジャック・ジョンソン対ジム・ジェフリーズの一戦が開かれようとしておりました。
チャンピオンのジャック・ジョンソン。テキサスはガルベストン生まれの黒人。波止場人夫として働きながら頭角を現し、対戦を避け続けていたトミー・バーンズを14ラウンドにしとめ、遂に黒人初の王者となる。さらに翌年には、挑戦者スタンリー・ケッチェルを上下の歯を根こそぎ叩き折りKOに屠る。
白人を打ち負かす強力な黒人の登場は、当時のアメリカ白人社会に深刻な波紋と不安を投げかけましたな。おまけにこのジョンソン、白人の妻さえ娶るという大胆さ。「是が非でもこの生意気で不敵な黒人を倒し、白人の人種的優越を証明せねばならぬ。誰か相応しい人間はいないのか?」と世間ではヒーローの出現を待ち望みます。そこで期待を一身に集め担ぎ出されたのがGREAT WHITE HOPE(偉大なる白人の希望)ジム・ジェフリーズ。「俺が黒人野郎を殺す!」と自信満々挑戦状を叩きつけました。 こういう経緯もあって、この一戦、ただのボクシングのタイトルマッチでおさまるはずもありません。今や白人黒人両社会の不安と期待を集める全米が、否、全世界が注目を集める事件にまで発展してきました。  
日頃は平和で辺鄙なリノの町にはこの試合を取材すべく記者団や撮影班がつぎつぎと到着。全米のみならず世界各国からも観客が集まり、アイスクリームや甲子園名物「かちわり」を売る屋台もぞくぞくと集結してきた。(これは嘘ですが)。町の人口を遙かに上回る3万人以上の人間でリノの町は大騒ぎ。さらに全国の劇場やホール、競馬場などの主な施設にも時々刻々、試合の経過が電報によって伝達されることになりニューヨークと首都ワシントンだけでも各3万人が掲示板の前に押し寄せる騒ぎ。                 いかにこの一戦が大きな意味を持つと考えられたかが想像できますな。当時のシカゴ・トリビューン紙の社説も「もしジョンソンが勝利するなら、黒人は彼ら自身に対する自信を増長させるだろう。そして一部の人々は、彼らが白人の力を一層軽視するようになることを恐れている。この恐怖は南部において特に明らかだ。黒人達は、もしジョンソンが勝利するなら、それは、条件が等しい闘いでは、彼らが白人男性を打ち負かす能力がある証拠だと考えるだろう。そして、これまで成し遂げられなかった行動が実は可能ではないかと思い始めるかもしれない。」ってな事を書いております。     黒人達もジャック・ジョンソン勝利を願う祈祷会を各地で開くという力の入れよう。
不測の事態に備え、観客はすべて身体検査を受けさせられるわ、ジョンソンにいたっては勝っても負けても危険が危ないちゅうて、リボルバーを枕元に置いて寝たという始末。さて、いよいよ試合が始まる直前。ジャック・ジョンソンは、こう思ったそうです。
「白い顔の海を見渡したとき、(黒人は一人もいなかった。)この試合で私が勝利することは、以前のどんな勝利より意味あるものとなるだろうと気づいていた。ただチャンピオンの座がかっているだけではなく私自身の名誉、私自身の人種の名誉がかかっているのだ。」

そして遂に、運命のゴングが鳴った!
試合の模様は例によってユーチューブでお楽しみください。

あ!こっちの方がバーンズ戦やケッチェル戦もあって面白い
            続く