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2007年3月

2007年3月29日 (木)

ピー・ウィー・クレイトン大いに語る�

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「ま、そういう事は置いといて、その後は、バンドを率いて全米各地をまわったな。ハワイやカナダまでも足をのばしたよ。その間にインペリアルやヴィージェイに吹き込んだりもしたしな。金もワンサカ稼げてね、結婚もしたし、車もリンカーン、ポンティアックと手に入れる事が出来たんや。」
「ほー。言うこと無しの生活を送られたわけですか?」
「ま、そういう事やね。ただ、長期のロードは、やっぱり苦労したな。なんせあの時代、南部では食事をするにも泊まるにも不自由することが度々あったしね。たいがいのレストランやホテルでは、『黒人お断り』やった。」
「その後、また苦難の時を過ごされたとお聞きしてるのですが。」
「その通りや。そのうち、だんだんと仕事が少なくなってきてね。とうとうデトロイトでニッチもサッチも行かんようになってしもたんや。車は差し押さえ食らうわ、家族を養うのも困難な状況に立ち至ってしもうた。いやー、あの時は途方に暮れてしもたな。けど、幸いにもロジャースちゅう女性がいろいろ援助してくれてね。」
「何者です?そのロジャースという女性は。」
「ああ。ストリッパーのブッキングの仕事をしてる人でね。
その人が仕事を斡旋してくれたおかげで窮地を脱することができたって言うわけや。」
「ほほう。」
「あ!言うとくけど、ワシが舞台でストリップ披露したわけとちがうよ。その辺、誤解のないように。」
「わ、わかってますがな。」
「その後は、再びウエストコーストに戻って、昼間はトラックの運転手をしながら演奏活動を続けたってわけや。」
「ずいぶんと浮き沈みの激しい生活を送られたわけですね?
ご自身の人生を総括して、どんな感想をお持ちか最後にお聞かせください。」
「ま、そやね。大成功することは無かったけど、十分活動できたし、優れたバンドにも恵まれたし、そこそこ満足できる人生やったと言えるね。」
「どうも長時間に渡りありがとうございました。」

本日のオマケは、テキサス繋がりということで
ローウェル・フルソンの映像をお楽しみください

2007年3月26日 (月)

ピー・ウィー・クレイトン大いに語る�

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「ギターにも金かかったけど、その他諸々の装備を揃えるのも一苦労やった。当時の金額で800$も叩いて購入したんや。『吉本の舞台から飛び降りる』決心が要ったで。」
「・・・・。」
「何やその間は?そこで間髪入れずに『それも言うなら清水の舞台』と突っ込んでくれんとあかんがな!会話もギターも切り込んで行くタイミングが重要や。しっかりしてや。ボケ甲斐のない男やで、ほんまに。」
、い、意表をつかれました・・・。」
「タイミングといえば、T・ボーン・ウォーカーさんに、その辺りの事やコード・チェンジの仕方を教わったんやけど、ほんまにあの人には恩義を感じてるんや。わざわざピアノやベースで伴奏までしてくれてね。」
「その後、いよいよ本格的にプロとして身を立てていかれるわけですが、最初にレコーディングされたのは何時頃ですか?」
「あー、あれは、1946年やった。アイボリー・ジョー・ハンターのバックで弾いたな。その翌年にはバンドも結成して自己名義で4スターに吹き込んだよ。ま、その当時は本当の所を言えば十曲余りの曲しかレパートリーが無かったが、世の中、なんとかなるもんやね。」
「傑作Blues After Hoursが大ヒットとなって一躍脚光を浴びるようになったのが1948年ですね?」
「そうそう。あの曲は大当たりしたな。今では、すっかりスタンダード・ナンバーや。けど、あれは偶然出来た曲でね。
吹き込み当日にサックス吹きのヤツが遅れよって、仕方がないから皆で時間つぶしにジャムってた時にパッとあのフレーズが出来上がったっちゅうわけや。」
「あっれ?」
「何かご不審な点でも?」
「いや、以前何かで『私に神が降臨してあの曲ができた』って話しておられたのを読んだ事があるんですが・・・・。」
「いー!そんな事言ったっけ?そしたら、そういう事にしておいてもらおうかな。しかし、あの曲を吹き込んで受け取った金額は、あとにも先にも400$ポッキリやで!今やったら確実に一財産築くことも出来るやろうな。」
「いくら時代が悪かったといっても酷い話ですな?」
「さいな。50$でレコード吹き込んだこともあるし、著作権も全部持って行かれてしまうというのが普通やったからな。Black Roots,White Fruitsとは、この事っちゃで。」

更に続く

ピー・ウィー・クレイトンさんの作品は
ココで試聴できます。

2007年3月24日 (土)

ピー・ウィー・クレイトン大いに語る�

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本日は、久方ぶりに天国より素晴らしいゲストをお迎えして
おります。皆様お馴染みの正統Tボーン系のワイルドギタリスト、ピー・ウィー・クレイトンさん、どうぞ!
「あ、どうもどうも。今日の写真は、日本に行った時のヤツやね?クリーン・ヘッドも写ってるね。懐かしいなー。君が撮った写真かいな?」
「へ。い、いや、がちゃこさん所から無断で拝借したんですけろね。後で謝っときます。ところで早速、質問に移らせていただきたいのですが。よろしいでしょうか?」
「よっしゃよっしゃ。何でも聞いてんか。」
「音楽に興味を持たれた切っ掛けからお話願います。」
「ワシがテキサス州はオースチンの小学校へ通ってる時の事やった。友達でウクレレ弾くのがいててね。それに刺激を受けたのがそもそもの始まりや。そいつの名前は、エルモア・ジェイムスちゅうてね。」
「ええ?!エルモアってあのエルモアですか?」
「ささ。そこやがな。エルモアにあのも、このもあるかいな。と言いたい所やが、なんせ子どもの時のこっちゃさかい
あのエルモアやったんか、そやなかったんか・・・・。」
「エルモアさんは、たしかミシシッピ生まれでしょ?テキサスで生活したという話は聞いたことが無いですけど。
それにエルモアさんは、1918年に誕生されたらしでっせ。」
「ワシは、1914年の12月生まれや。」
「ほたら、やっぱり別人でっせ。」
「そやろか?ま、そんな事はどっちゃでもええ。とにかく、それからは、ギターを弾くことを夢見る様になってね。シガーボックスに針金張った自家製のギターで練習したがな。
けど、ワシには兄姉が十人もいててね。ギターみたいな贅沢品買う余裕なんて全然あらへん。ガソリンスタンドで働いたり新聞配達したりして、その日を生きていくのが精一杯の状況やったね。そういうわけで、当時憧れてたブラインドレモンみたいなスタイルのギターは、今でも弾かれへんのや。 ま、そんなわけで、だんだん音楽に対する熱意も失いかけたわけや。ところが、オークランドに引っ越して造船所で働いてた頃に、ベニーグッドマン・カルテットの演奏を目撃してな、その時にギター弾いてたチャーリー・クリスチャンに衝撃を受けて『よっしゃ!ワシも負けてられんぞ!』と再度、情熱が高まったんや。ジョニー・オーティスの父親からも『男やったらギター買って勝負せんかい』と励まされたのにも勇気づけられたで。」
「なるほど。それで、早速ギターを購入されたんですね?
どんなギターを最初に買われたんですか?」
「メーカーは忘れたが、12$で買った中古やったね。なんせ金が無いので最初から高級なヤツを買うのは到底ムリやったんでな。それから段々とベガ、エピフォンとグレードをアップさせて行ったけどね。たんとギターを揃えてはるアオシマさんが羨ましい・・・。」

続く
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「つ、続くや無いがな。オマケはどうなってんねん?
ワシの勇姿を記録したユーチューブはどうした?」
「すんません。検索したけど見あたりませんねん。
コレで堪忍してください。」
「な、なんで他人の映像を・・・。マット・マーフィーとは流派がちがうがな。   ま、ええか。」

こんどこそ続く

2007年3月21日 (水)

ギター・スリム

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本日はギター・スリムのご紹介。ギター・スリムといえば、なんといってもThe Thing's That I Used To Doに代表されるスペシャルティー時代の作品群が有名でございますが、
本日のアルバムは、アトランティック傘下のアトコ・レーベルに57年から58年にかけて残された作品を集めたものでございます。男性コーラスなんかを入れたトホホなポップ調の曲もありますが、(The Thing's・・・が驚異的なヒットとなってしまった事がプレッシャーとなってしまったのでしょうか?)その他は、実力を十分に発揮した粒ぞろいの作品となってますな。ただ、一回目のセッションの時 にスリムさん、喉の調子がおかしいちゅうので、オリーブ・オイルを飲もうとした所、まちがって「ひまし油」一瓶を全部飲んでしもうて、えらいことになってしもたらしいです。この人、59年に32歳の若さで亡くなってしまうのですが、

ここまで書いた所で「あれれ?なんか前にも同じような事書いた覚えが・・・」と、ハタと気づき、調べて見たら2年ほど前にギター・スリムさん取り上げさせてもろてました
大ボケですね。大笑いですわ。
というわけで、ご存じ無い方はココでスペシャルティー時代の作品のさわりだけでも
お聴きください。

オマケとしてギター・スリムさんの映像でも、と思いましたが、そんなものは有るはずもないですな。しかたがないので、アルバート・コリンズさんでもどうぞ。お約束の客席乱入パフォーマンスが堪能できます。(しかし、誰やねん?後ろから髪の毛抜ことする悪ガキは。コリンズさん怒ってはるがな。)

2007年3月19日 (月)

キュートなラムさん(ちょっと息抜き)

1uw3ayqx ネオコンの頭目の一人ラムズフェルド
形無しですね
大爆笑してしまいました。

2007年3月15日 (木)

タンパ・レッドの寂しい死

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明後日3月19日といえば、あのGuiter Wizardタンパ・レッドさんの命日にあたります。
タンパ・レッドは皆様ご存じのように所謂戦前シティー・ブルース界の大立て者として
大活躍した人物で、ビッグ・メイシオやジョージア・トムとの名コンビも有名ですね?ギターを弾かれる方にとっても彼の小粋なスライド奏法は、非常に興味のあるところだと思います。又、彼は無類の世話好きとしても有名で、シカゴのサウスサイドにあった彼の自宅を音楽仲間に練習場として提供していた事はよく知られております。
さて、そんなタンパさんですが、1954年に愛妻とマネージャーに先立たれたショックからか、すっかり意欲を失い、60年代に2枚のアルバムを残しただけで完全に音楽界から姿を消してしまいました。その後は養老院を転々する生活を余儀なくされ、旧友のブラインド・ジョン・デイビスや時々見舞いに訪れてくれるサニーランド・スリムやリトルブラザー・モンゴメリーの世話になっていたといいます。(みんなピアニストですね?)
1981年に77歳で亡くなるわけですが、葬儀後に残された財産といえば、ジョン・デイビスの家のクローゼットにしまいこまれたまま残されてた愛用のギブソンだけだったらしい。He was once a famous man,but never a rich manとジム・オニールが書いてるのですが、これは何もタンパさんに限った事ではなく、多かれ少なかれ黒人ブルースマンに共通した話では無いでしょうか?再発見後のスキップ・ジェームスに対し、曲を使わせてくれたお礼としてエリック・クラプトンがポーンと家一件をプレゼントしたという話がありますが、それと同じように何かスッキリしない気持が残ってしまいます。
ところでタンパ・レッドの形見のギターは、その後どこへ行ってしまったのでしょうか?

2007年3月10日 (土)

なんとか首はつながる・・・

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いやー、よかったよかった。助かった。
実は、2月末に人事移動候補者にノミネートされてしまい、この10日間ほどは悶々とした日々を過ごしておったんですが、本日「今年度の移動はありません。」との知らせがあってホッと胸をなでおろしておる所でございます。
同一校4年以上(去年までは7年)勤務した者は、移動対象者とするという、教育委員会の人事方針に基づいて私にお鉢が回って来たわけですが、「希望もして無いのにどういうこっちゃ!そないコロコロと人間を動かして学校が上手く回っていくはずがないぞ!せめて担任として今の1年クラスを卒業させるまで待てんかぇ?」と腹を立てたり、「あー、移動させられるのなら今度はぜったい全日制や。肌に合わんやろなー。朝早く起きる自信無いがな。満員電車に乗らんならんし給料減って嫁にドヤされるがな。」と弱気になったりしておったのですが、今年1年はなんとか難を逃れることができました。

というわけで本日はロゼッタ・サープさんの楽しいゴスペル演奏
をお楽しみくだされ。
パッと見は、どこの町内にでも居てはるちょっと強面のオバチャンですがギターを弾きまくる所はえらいカッコええですね?かしまし娘もビックリ!

2007年3月 4日 (日)

Tボーン・ウォーカー&チャック・ベリー

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本日もユーチューブからTボーン・ウォーカーとチャック・ベリーの共演映像


YouTube: Everyday I have the blues

「もっとネタは無いのかい!」というお叱りの声もあろうかと思いますが、非常に面白い映像なので、私の想像も交えてご説明したいと思います。
①酎ハイ?片手に人間国宝Tボーンさんの登場。続いてのチャックさんの会話部分
  ここまでは、和やかな雰囲気の下、問題なく進行していきます。
チ「あ、師匠どうもどうも。一緒に演らせていただけて光栄です。厚かましいようです が、ギターの方も弾いていただけたら嬉しいのですけど・・。あ、ギターは、私のを使 ってください。」
T「よっしゃよっしゃ」
  といった様な会話が交わされているものと思われます。
  続いてTボーンがEvery day I have the blues を歌い出します。
  ②ギター受け渡し部分                   
  ここから急転直下、チャックさんの悲劇が訪れます。
(うん?ギターを肩にかけてくれるのか?そうかいそうかい)と満面の笑みを浮かべていたTボーン師匠の頭にストラップを引っ掛けてしまう大失態を演じてしまいますね?
続いてムッとした表情に変わったTボーンがチャックに話しかけていますが、おそらく 
「何しとんねん!君ねぇ、ワシに恨みでもあるんか?セットが乱れたがな!ピックよこさんかい!」と叱りとばしているものと思われます。
  ③Tボーンによるギター演奏場面
サービスするつもりの行動がすっかり裏目に出てしまい動揺するチャック。
タオルで汗を拭いながら必死にTボーン師匠に機嫌を直してもらう方策を考えています。                    ④手拍子をしながらTボーンに近づき何かを話しかけている場面
ここは何を言っているのか十分推測できますね?「美味しいカレーうどんの店知ってま  すよ。奢らせてもらいまっせ。」とか何とか言って気を引こうとしてるのでしょうね。
これに対しTボーンはガリガリガリとギターをかき鳴らすことで「じゃかーしわい!」
とキッパリ拒否してますね?
⑤ドラムのフレッド・ビロウにおどけたジェスチャーで意味不明の動きをするチャック
これは、完全にパニックに陥ったチャックが平常心を取り戻そうとしている本能的な行動ですね。人間、完全に行き詰まってしまった時には何故か笑ってしまうものです。
⑥再びタオルで汗を拭った後、再度Tボーンの後ろから話しかける場面
これは「ほんまに失礼しました。お詫びに得意のダンスで精一杯盛り上げさせてもらいます。」
と言ってますね。
⑦必死でダンスに集中するチャックさん。
Tボーンがギターを肩から外し、チャックさんに渡そうとしているにも拘わらず、踊り続けるチャックさん。チャック!チャック!という呼びかけにも全く気づきません。
(い、いつまでタコ踊りしとんねん!左手にマイク、右手にギター持ったままで間が持たんがな!)とTボーンの怒りもその頂点に達したようですね?
やっと、気がついてあわてて走って行きますが。後の祭りのようです。
⑧演奏が終わって両者がガッチリ握手する場面
ここの会話は言うまでもないでしょう。
チ「度重なる失態。平にご容赦を・・・・。」
T「後で、楽屋までちょっと顔かしてんか。」

  この後、どういう展開になったのでしょうか?

本日のオマケ
Tボーン&BBキング
これは、珍しい2大巨人の激突