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2006年10月

2006年10月28日 (土)

ミルウォーキー川の宝探し

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「ムムム、これがミルウォーキー川か。なるほどね。」
「何がなるほどや。珍しい魚でも釣れるんかいな?」
「いや。魚の事は知らないですけど、サン・ハウスやらウイリー・ブラウンなんかが釣れるかもしれんのですわ。」
「・・・どういう事やねん。話が見えてこんがな。」
「パラマウント・レコードってご存じでしょ?ウイスコンシンのグラフトンにあった。そそ、戦前ブルースファンにはお馴染みのブラインド・レモンやらチャーリー・パットンやらミシシッピ・シークスやら多くのブルースマン達が吹き込んだ。」
「知ってるけども、この川と何の関係が?」
「ま、話は最後まで聞きなはれ。そのパラマウント社が1932年でしたか、世界恐慌のあおりで倒産してしまうんですけど、
その時に多数のマスターやらSPレコードがこのミルウォーキー川に投棄された。と言う話が残ってるんです。」
「何をするんや。もったいない。あ、そうか!それでこの川を漁ったらひょっとして貴重な幻のレコードが発見されるかも、という話やな?アホくさ。70年以上も前の話やがな。そんなもん今頃出て来るはずがない!」
「と、思いますやろ?ところが今年の夏に『ヒストリー・ディテクティヴズ』ちゅう番組が4人のダイバーを雇って本格的に川底の調査をしたんです。」
「えらい本腰入れよったんやな。それで何か発見されたんかいな?」
「いや。その後、何の音沙汰もありません。」
「やっぱりな。ロマンを求めるのもええけど。そう上手いこと行くかいな。それに、もしレコードが発見されたとしても再生できるとも思えんで。長い年月、川底に沈んどったわけやし。」
「それについては、女プロデューサーのレイチェルなんちゃらという人が『心配ご無用。なんとかできます。』と言うてはるんですが。」
「ほんまかいな。ま、どっちにしろ見つかるはずがない。」
「そうですやろか?ひょっとして実は見つかったんとちゃいますやろか。それとも、もっと以前に誰かが引き上げてるのとちがいますやろか。」
「そんな馬鹿な。」
「いえね。去年の秋に長い間発見されなかったサン・ハウスのSPがひょっこり見つかったでしょ?1985年にも同じサン・ハウスのテスト・プレスがどこかの家の屋根裏からたまたま発見されたり・・・。どうもこのあたり、スッキリせんのですわ。偶然にしては話が出来すぎてる様な気がしてね。
絶対に、どこかの誰かが隠し持ってるとしか思えないんですわ。」
「ミステリー小説の読み過ぎや。屁こいて寝とき。」
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2006年10月24日 (火)

ジュークボーイ・ボナー�

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「して、そのマラソンツアーはどんな風に?・・・」
「あ、それはやね、風の吹くまま気の向くまま、自分が行きたい所で演奏するわけや。一晩演ったら、次の日にはグレイハウンド・バスに飛び乗ってちがう町に移動してね。二日と同じ所にじっとしてる事はほとんどなかったな。金の心配はあったけど、ほんまに面白かったで。」
「その頃ですか?マイナーレーベルのゴールドバンドに吹き込まれたのは?」
「そうや。ある時、ジュークボックスの中にあったゴールドバンドのレコード見つけてね『お、なかなか洒落た名前のレコード会社やな。』と思ってな。レイクチャーリーズの町に行った時に録音したってわけや。けど、実際に発売されたのはシングル1枚だけでね。」
「売れましたか?」
「さっぱりや。」
「アンラッキーですね?」
「そうこうするうちに、慢性胃潰瘍が悪化して病院に担ぎ込まれてね。胃の45%を切除されてしもーた。」
「あらら・・・」
「悪いことは重なるもんやね?その時、嫁にも逃げられてしもうてな。その後しばらくは、残された子ども3人の面倒見るのが精一杯で音楽どころや無くなってしもたんや。さっぱりわやや。ははははは。」
「わっちゃー。浪曲子守唄ですがな。一節太郎ですがな。」
「なんやて?」
「いや。ええんです。続けてください。その後たしか1966年でしたか、英国のブルース研究家のマイク・レッドビターがあなたを発見したわけですね?」
「そういう事やな。だいぶ苦労して探してくれたみたいや。けど、発見て言うのもおかしいやろ?別に隠れてたわけやないねんから。ま、あの人がワシの事を世に知らしめてくれたお陰でヨーロッパへも行けたし、フライライトやアルフーリからアルバムも出すことができたのは確かやね。」
「よかったですね?生活もだいぶ安定したのでは?」
「それがそう上手くはいかなんだ。なんせあの当時、アメリカではブルースの人気も下り坂で、仕事もほとんど無くなってしもてな。
死ぬ直前まで、チキン工場で働いとったんや。殺されていく鶏が詰め込まれた籠の上げ下ろし作業してたんや。」
「どうも有り難うございました。時間が来たようです。」
「それじゃ。みなさまさようなら。」

2006年10月21日 (土)

ジュークボーイ・ボナー

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「ジュークボーイさん、お待たせいたしました。続きをどうぞ。」
「遅いやないか!ドクターさんも待ってはるがな。ま、しゃーない。始めるで。さっそく音楽で身を立てる決心をしたワシは、14歳の時にギターを手に入れて、本格的に練習を始めたな、たしか、ギターは、ジェームズ・ディーバーちゅう奴から3ドルで譲ってもろたと思う。
16歳の時には、ヒューストンに出て、ちょっとしたタレントショーで名を売るまでになってね、15分間のラジオ番組に出るまでになったな。いろんなバーからオファーも来たよ。」
「ほー、順風満帆の出だしですがな。」
「ところがどっこい、18の時に結婚することになってな。そうなると、やっぱり堅実な生活を送らざるをえんわけや。
そこで5年間ほど音楽から足を洗って、堅気の生活を送ったな。一生懸命働いてね。けど、根っからの音楽好きのワシにはどうも、もひとつ物足りなくてね、結局また、バーやジューク・ジョントで演奏を始めるようになったわけや。」
「ハーモニカを吹くようになったのもその頃ですか?」
「そやね。ジミー・リードを聴いてね『これは素敵な、ちょいといかす』と練習を始めたわけや。」
「例のピーヒョロ・ハープですね?」
「そうそう、それそれ。ジュークボックスから流れてくる音楽にあわせて、鬼のようにテクニックを磨いたね。そこからジュークボーイというあだ名というか芸名が生まれたわけや。」
「ほほう、実にわかりやすいですね?」
「そうこうしているうちに、ギタリストのラファイエット・トーマスさんが『あんたもレコード作ったらどや?』ちゅうてオークランドまで連れていってくれてね。ボブ・ゲディンズのアーマ・レーベルに吹き込んだんや。Well Baby / Rock With Me Babyちゅう曲やった。」
「売れましたか?」
「さっぱりや。それでもワシは、めげなんだな。こうなったら、南部をマラソン・ツァーで回ったろちゅうて、決心したわけや。『ジュークボーイ・ボナーとワンマン・トリオ』ちゅう看板背負ってな。いやー、あの時は数年間に渡って、いろんな場所回ったな。ルイジアナ、アーカンソー、アラバマ、テネシー・・・。おもろかったで。」
    更に続く

2006年10月20日 (金)

晒首?

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今日の朝、犬の散歩してたら、こんな物を発見いたしました。おそらく美容師さんなんかが練習用に使う首?やと思いますが、いきなり目にした時はちょっと吃驚しましたな。
カラスや雀を防ぐ目的でどなたかが設置されたのでしょうが、はたして鳥の目に人間として映るんでしょうかね?
まだ、案山子の方がま
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「ジュークボーイ・ボナー参上!」
「いー!参上やおまへんがな。別にお呼びしてませんで。」
「黙らっしゃい!がちゃこさん所にワシのポスターが貼り出されたの見たやろ?そこで、「いよいよワシの出番が来た」と押っ取り刀で駆けつけたったんや。有り難く思えよ。」
「しゃーけど、まだ、記事の途中で・・・。」
「心配しーな。ワシの話の方がよっぽどためになるわいな。それにしても、もっと早いことワシの事呼ばなあかんがな。ジョー・ヒル・ルイスの時も、てっきりワシが指名されると思っておったんやで。正統派ワンマンバンドといえば、このワシや。ジョー・ヒル・ルイスは、ウイリー・ニックスとかビッグ・ウォルターとか、助っ人使ってるから狡っこい。なにがワンマンバンドや、何がビバップ・ボーイや?」
「そんなボロクソに言うてええんですか?ジョーヒルさんが出て来はったら、どないします?」
「謝ったらしまいやがな。」
人生幸朗かいな?
「なんやて?」
「いや、なんでもないです。それでは、生年月日からお願いします。」
「ワシは、1932年に9人兄姉の末っ子としてテキサスで生まれたんやが、小さい時に父親に死なれてしもてね。世界恐慌の中、生活に困った母親は、泣く泣くワシを里子に出しよったんや。悲しい話やろ?けど、ワシは挫けることなく音楽の中に救いを見いだしてね。小学生のころからゴスペルグループ作ったりして歌ってたんや。」
「ブルースの世界にはいつから引かれるように?」
「あ、それはたしか13歳の時やったな。従兄弟のアービンちゅうのがブルースのレコードをたくさん持っててね。それを聴かせてもろたのが最初やった。ビッグ・ビルとかドクター・クレイトンとかブラインド・ボーイ・フラーとか・・・。それに、ギターのチューニングも教えてくれてね。『よっしゃ!ワシもギターを手に入れて、音楽の道に進むぞ』とその時に決心したわけや。あ!何をウトウトしとるねん。人の話は、ちゃんと聞かんかいな。」
「す、すんまへん。眠いんです。続きは、またこんどと言うわけにはいきませんかね?」
「しゃーない奴やな。今日の所はこのぐらいにしといたろ。」
続く

2006年10月15日 (日)

ブルースマン強面NO1はだーれ?

最近、関西どっとコムで投票機能が追加されました。
使用方法が、もひとつよくわからんのですが、とりあえず
実験してみます。
貴方が選ぶ、強面ブルースマンは誰?ちゅうことで
以下の4名の方々から「この人だけとは、ちょっと喧嘩したくないな。」「一緒に釣り行ったら、えらい目にあわされそうや。」と思われる人物を一人選んでいただきたい。
�気性の激しさと偏屈さで有名なハウリン・ウルフ。
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�額の傷が豊富な戦歴を誇るリトル・ウォルター。N3vhfqei

�「監獄暮らしの事は何でも聞いてくれ」のレッドベリー。Qur2orbc

�ナイフ常時携帯のサニーボーイ�Ahtytueo_s

え?みんなこわい?それでは投票になりませんがな。
究極の選択です。ポチっと押してねheart

2006年10月14日 (土)

You Tube(憂歌団と近藤房之助)

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You Tubeで憂歌団近藤房之助のビデオを発見しました。
憂歌団の方は、おそらくデビュー間もない30年ほど前のものでしょうか、木村氏と内田氏両名とも若い!あたりまえですが・・・。いやー、今見ても古くささを全く感じさせませんね?思わずデビューアルバムを引っ張り出して来て聴き入ってしまいました。                                    近藤房之助氏の方は、わりと最近の物と思われますが、やっぱりこの人の実力を再認識いたしました。それにしても、このオモチャみたいなギターはどう?始めて見たのですが、どういう仕組みになってるのでしょうかね?ペグも無いように見えますが・・・・。

2006年10月 9日 (月)

MISSISSIPI BOTTOM BLUES

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さてさて、本日は戦前ミシシッピ系ミュージシャンを集めたマムリッシュのアルバム「ミシシッピ・ボトム・ブルース」でございます。なんちゅうてもオットー・バージルの2曲とミスター・フレディーの7曲が聴けるのが嬉しいところですね?(ギター持って写ってる人は若き日のロバート・ナイトホークさんです。中身とは関係ありませんが・・・)

ミスター・フレディー(パパ・フレディー・スプルーイル)といえば、トミー・ジョンソンに先立つこと2年、チャーリー・パットンに先立つこと3年も早い1926年に吹き込みを行った事で有名ですが、その正体は例によって皆目わかっておりません。「かなり早い時期にシカゴに出て来て、1956年に死亡したらしい」とか「ドッケリー農場グループやハーナンドー一派と何らかの接触があったのでは」とか研究者の間では定説になっておる様ですが、12弦ギターの使用や、イースト・コーストのギタリスト、カール・マーチンと絡む必殺のギターラグナンバーの「Let`s Go Riding」などからわかるように、いろんなスタイルを消化吸収した人物だったようでございます。ここで試聴をしていただければおわかりと思いますが(個人的にはDon`t Cry Baby大好き!)知名度はサッパリですがその実力は大したものだと感じられるでしょう。しかしこの人、レコードは当時サッパリ売れず、今も、ロバート・ジョンソンやサン・ハウスなどの巨人の影に隠れてしまい、あまり注目を浴びることも有りません。Pヴァインあたりで、「実力はあるが、人気は、も一つのブルースマンシリーズ」という企画でも立てていただいて、広く世の中に紹介してもらえませんでしょうか?山崎さんに要望したい所でおます。

ちなみに試聴される際は、元散髪屋さんのウィリー・ロフトンも聴いてください。せわしない「Dark Road Blues」も最高です。

2006年10月 5日 (木)

WITHOUT SANCTUARY

以前、稚ブログで若干触れさせていただいたJames Allen氏のサイト「WITHOUT  SANCTUARY」が復活した。
始めてこのサイトを目にした時の衝撃は筆舌に尽くしがたく、今でも人間の獣性と残忍性を示すポストカードの一枚一枚を見るたびに慄然とさせられます。
非常にショッキングな中身ですので、すべての方にお勧めいたしませんが、かつて(今でもか?)のアメリカ社会が抱えていた病理や人間存在そのものの問題について関心をお持ちの方は、ぜひご覧下さい。

2006年10月 1日 (日)

世の中、そんな甘いもんやない。

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さてさて、今回の我が家建て替えにあたり、流行のオール電化と太陽光発電を導入したわけですが、どれほどの経済的メリットがあるのかという点についてご報告いたしたいと思います。え?興味ない?  そ、そんな冷たい事言わずに、まー読んでちゃぶだいませ。

  関西電力から送られてきた9月分の「電気使用量のお知らせ」を見てみると請求額は3538円。受給電力量(売電力量)は、165kwとなっております。
ということは、165kw×約20円=3300円が口座に振り込まれるよってに、9月の光熱費代は請求額−受給電力量の差し引き235円程度で収まった勘定になるわけです。
  ちなみに昨年9月の光熱費代を調べてみると15353円(ガス代5521,電気代9832)となっているので、今回は、昨年度比で約1万5千円の光熱費節減達成という結果が出たことになります。「こ、これは予想外の嬉しい誤算じゃ、月に1万5千円ペースで削減できれば年間で18万円の削減となり、太陽光発電設置費用の元をとるのに10年もかからんじゃないの。よっしゃ、よっしゃ。ヨコヤマ大明神様々や。」とはしゃいでおったのですが、嫁によると「先月市役所の人が固定資産税の評価額を決めるために調査に来はってんけど、これまでよりドバーと上がって、だいたい17〜8万円ぐらいになるらしいで。節約できた分は全部、家屋の固定資産税で飛んで行ってしまうわ。」と言うことらしい。

世の中うまいこと出来てますね?やはり、楽して儲けようという浅はかな考えはダメですな。