フォトアルバム
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2005年11月

2005年11月27日 (日)

A CHANGE IS GONNA COME

Y4zqurfs 本日は、久方ぶりにゴスペルのご紹介。ブルースでも多くの傑作を生みだしたジュエル・レーベルの作品を集めたアンソロジーアルバムでございます。一曲目のヴァイオリネアーズから最後のメディテイションシンガーズまで上質の「これぞゴズペル」という名作ぞろいで、入門用としても最適だと思います。ロスコー・ロビンソンやクラレンス・ファウンテン、さらにはローラ・リーの歌声まで聴けて、好き者も随喜の涙を流す事必至となっております。
クリスマスまで、あと一ヶ月足らず。たまには聖なる音楽に耳を傾けても罰当たりまへんで。
ちなみに、この作品は、堺の「サムズ・レコード店」の佐藤氏が編集したものでPヴァインから1980年に発売されたものでござります。

2005年11月23日 (水)

ラグビーの季節でっせ!

Jgk9wyp7 今日、テレビで早慶戦を見ましたが、いよいよラグビー・シーズンも佳境に入って来ました。年末から年始にかけて、高校、大学選手権さらには全日本選手権とテレビに釘付けになる日が続いてしまいます。野球やサッカーも面白いけれど、やはり見てて一番興奮するのはラグビーですわな?(実際にプレーする人は一番大変やろうけど。)ギシギシと音が聞こえてきそうなスクラム、骨も折れよとばかりのハードタックル、華麗なバックスの展開、今から楽しみでございます。昔は、花園まで見に行ったものですが、寒いし、雨でも降られた日にはエライ目にあうので、最近は炬燵に入ってのズボラ観戦でございます。
高校は最近西高東低の傾向にありますが、トップ・リーグの神戸製綱は、今ひとつやし、大学にいたっては、平尾や大八木のいた頃の同志社の3連覇以降ずっと関東勢にやられっぱなしですが、何とか今年は一矢を報いて欲しいものでおます。angry
ちなみに画像は例のブルースコーヒー。
だんだんデザインが投げやりになってきてるような・・・
チェ○オにlyneさんのマウス絵を使ってほしいものです。

2005年11月19日 (土)

サンダース・キング

7td6orit 本日はウェスト・コーストからサンダース・キングさんのご登場。(コンバットのサンダース軍曹ちゃうよ。)このあたりの音楽はドロドロのシカゴスタイルなんかとちがって、すっきりとしてゴージャス、小粋な感じがして、肩の力を抜いて楽しめます。ギタースタイルもチャーリークリスチャン風で、さすが高級ホテルなんかが主な活動場所やったと言うのも頷けるところですな。
この人は、両親が牧師という黒人ミドル階級の家庭で育ち、小さい頃から正規の音楽教育を受けただけあって、毛並みのよさといいますか、洗練された感じといいますか、田舎で綿花を摘んだり密造酒を造ったりした多くのブルースマンとは一味違った所を持ってはります。(風貌も、どことなくインテリっぽい感じがします。ま、この辺がゴリゴリのダウンホームブルースを好む人には、物足りない所でしょうがね。)しかし、「今朝、家に帰ったら、アイツどっか行ってしもておれへんかった。通りに出てあちこち探したけれど見あたらんがな。留置所や死体安置場にも行ってみたけどあかなんだ。きっと誰か他の男とどっか行ってしもたんやろな」(WhenI Got Home This Morning)などと歌われるを聴くと、「な、なんちゅう所まで探しに行きまんねん!」と突っ込みたくなったりして、嬉しくなったりします。

2005年11月15日 (火)

私の宝物

一昨日、julyさんのライブへ出かけた。ネット上のお知り合いのはまぁさんと感激の初対面を果たすこともでき、十分に満足したのですが、会場のすぐ後ろの席に、前任校で最後の担任をうけもったK君を発見して、非常にびっくりしました。彼によると「親類の方が他のバンドで演奏されるので、見に来ました。」と言う事だったのですが、まさかあびこで再会を果たすとは・・・。 K君といえば思い出すな、あの最後の春休み。「卒業まであと1年か。最後の総決算の年や、4月から又頑張るぞ!全員卒業させるぞ!」と意気込んでいたにもかかわらず、突然の移動の内示。移動候補者に挙げられた時点でも、よもや移動があるとは夢にも思わず、校長にも「移動させるのやったら、ぜひ定時制にしてくださいよ。全日制はどうも性に合いそうにないよってに。はははは。」 と冗談めかして言った軽口が命取りになってしまったのか・・・・「こんな殺生な話はないがな。3年間同じ釜の飯(給食)を食った生徒達が卒業するのを見届けるまで、せめてあと1年待ってくれてもええやないか。こうなったら府教委の人事委員会に提訴して徹底的に抗戦するぞ。ちゅうても勝ち目ないわな・・しょせん個人的な我が儘やもんなー」と非常に凹んでしまっておりました。そういう落ち込んだ心理状態で残務整理を終えて帰り支度をしておったある日、2名の生徒が「センセちょっと顔かしてんか」と呼びに来よったんですわ。
「うん、なんやろ?まさか『これまでの恨みここで晴らさせてもらうで』ちゅうてボコボコにされるとか?・・ははは、そんな訳はないやろけど・・」とか思いながらついて行くと、なんとそこには、K君をはじめとして多数のクラスの生徒達が集結してるやおまへんか。
みんなは、 出来の悪い担任のために宴席を設けて送り出してやろうと、春休みにもかかわらず貴重な時間を割いて集まってくれたのでした。いやー、あの時は心底感激しました。ほんまにこの仕事やっててよかったと思いましたな。正直、担任として大した事も出来なかった私ですが、それなりに認めてくれたのでしょう。ほんまに暖かい生徒達でした。どこに出しても誇れる生徒達でした。さらに嬉しいことにこの時のクラス全員が1年後に卒業してくたのです。画像は宴席の時にもらった寄せ書きと記念品のドラエモン・ネクタイです。へへへへへ・・・

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2005年11月12日 (土)

ライトニン・ホプキンス

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先日、抽選で当選したgacha`s boxをお貸ししたlyneさんから、かたじけなくもDVDを送っていただいた。なにやら濡れ手で粟と言いますか、人の褌で相撲を取らせていただいたと言いますか、若干後ろめたい気持ちもあるのですがね。・・・・(がちゃこさん、すんません。)
DVDには、1963年のニューヨークのハーレムはアポロ劇場でのMotorTown Revue(ミラクルズやらマービン・ゲイやら、何と当時12歳のスティービー・ワンダーまでもが登場します。最初見たときは「うわー、若っかーー。ちっこーー、まるで子供みたいや。」と思ったのですが、・・・・子供でした。shock)、以前ご紹介いたしましたDevil Got My Womanさらに、yazooから出されたMaster of the Country Bluesが収められていたのですが、何といってもYazooの作品が捉えた全盛期のライトニン・ホプキンスの映像に感激いたしました。いやー、圧倒的な存在感と迫力。生っちょろいアイドルタレントなんぞが束になってかかろうが、そのカッコよさには敵いませんわいな。

2005年11月10日 (木)

ついてない日やった・・・・

いやいや、今日はついてない日やった。午前中に泉ヶ丘にあるM台中学校を訪問したのですが、辿り着くまでに「道なりに直進するだけで、アホでもたどり着けるで。」と言う同僚の言葉とは裏腹に迷いに迷ってしまいました。泉ヶ丘の駅から件の道に出るまでが一苦労、ショッピングセンター内を行ったり来たり、階段を下りたり上がったり「なんでこの駅は、こんなややこしい構造になっとるねん!方向音痴にも優しくせんかい!」と泣きそうになりましたな。(それに堺東から片道運賃が400円ちゅうのは高すぎや。)さらに追い打ちをかけるかのように、仕事帰りの南海高野線が事故の為遅れよって、いつものJRの区間快速に乗ることが出来ず、結局、310円の座席指定券を払って「大和路ライナー」で帰るはめになってしまいましたがな。(金取るんやったら、大和小泉にも停車せんかい!王寺で降りて後の各停を待たなあかんとは殺生やないか!)。今日は腹が立つので屁こいて、ではなくblog書いて寝まっさ。

2005年11月 5日 (土)

スライド・ギター・ブルース、1934〜37

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本日ご紹介するのは、テキサスのローン・ウルフことオスカー・ウッズとその弟子で「オレはブラックエイス。カードの中でいっちゃん強いで。」と唄う、ブラック・エイスことベイブ・カイロ・レモン・カーターさん。それに戦前シカゴの大立て者ココモ・アーノルドの御三方の作品を集めたアルバムでございます。いずれの方も膝の上にギターを寝かせて、ナイフの背で弦をスライドさせるという、今日では廃れてしまったユニークな奏法で知られております。(このあたり、ぜひともギターを弾かれる方々には、五十肩になっても安心やし、ぜひとも復活させて欲しい技だ。と常々 考えておるのですが、どうでしょう?)
オスカー・ウッズとブラック・エイスの素晴らしさはここで触りだけでも試聴していただければおわかりになると思いますが、(ちなみに09〜15がウッズのボーカル。19〜24が戦前にエイスが録音した6曲全て。セカンド・ギターはあのスモーキー・ホグ!)残念ながら二人とも十分な評価がなされているとはお世辞にも言えません。ブラック・エイスは戦後再発見されてアーフリー・レーベルに1枚だけ自己名義のアルバムを残す事ができましたが(しかし昔買った奴、どこに行ってしもたんやろ?)、オスカー・ウッズにいたっては、歴史の闇に消え去ってしまいました。それに比べて、戦前デッカに100曲近い録音を残したココモ・アーノルドさんは、よほど恵まれていたと言えましょう。ロバート・ジョンソンの「テラプレン・ブルース」や「ミルクカウズ・カーフ・ブルース」なんかは、この人の「ミルク・カウ・ブルース」からかなりの影響を受けております。しかし、このココモさんも癖のある人だった様で、最初、ジョーマッコイにレコーディングを勧められた時には、渋々スタジオに入ったものの時間待ちをしている間に「あー阿呆らし。時間の無駄や。家で造ってる密造酒を買いに来るお客さんが心配や。金儲け、金儲け。」と気が変わり、逃げ帰ってしまったという有名な逸話がございます。

2005年11月 2日 (水)

天王寺思い出通り

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「立食いホルモン焼き、銭湯、ジャズ喫茶、ロック喫茶、
八百屋、映画館、骨董屋、女郎屋、質屋...
そして無数ともいえる一杯呑屋。
それはそれは混沌ならではの活気に満ちた、
恐ろしく不思議で不気味で不細工で不摂生で不衛生で
フーテン仲間と暇つぶしにフラつくには最高の通りだった」
と、がちゃこ氏が語っておられたように、阿倍野区にある「旭通り商店街」(アベノ銀座)
から新世界方面へと続く通りは、独特の世界でした。以前にも書きましたが、小生、大学生の頃は、この通りにあった「マントヒヒ」というロック喫茶に通い詰め、青春を謳歌しておったわけですが(どんな青春や?)、今では、しょうもない都市開発によってこの通りもほとんど壊滅状態になってしまいました。本日、久方ぶりにデジカメ片手に訪ねたのですが、ああ無情、銭湯まで画像のような状態になってしまっておりました。Ky4tdjng
(その昔、このあたりにオカマの「立ちんぼ」さんが、よく出没してました。)ちなみに、大塚まさじの名曲「天王寺思い出通り」は、この通りをモデルにしたものだそうです。