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2005年5月

2005年5月30日 (月)

注射は痛い!

本日、職場で定期健康診断があったのですが、採血検査の時にえらい目にあわされてしまいました。いつもは、怖そうなオバチャンに血を抜かれるのですが、本日の担当者は、若くて、その上笑顔のキュートな別嬪さんでしたので「へへへ、たまにはこういうこともなければね。同じ注射されるのでも気合いの入れようがね・・」と脳天気に構えておったのが大間違い。とんでもないヘタッピな女でしたな。「ちょっとチクっとしますけど、我慢してくださいね。・・・あれ・・いやーーーん。抜きますね。もう一度やり直しますね。・・・・あれ・・・いやーーん。おかしいわ。もう一度。チクっとしますよ」てなことで3回も針を刺されたあげく、「おたくさん、血管細いからやりにくいです。右手でやり直しますから」ちゅうて逆ギレしよる始末。これにはさすがのジェントルな私もカチンと来ましたな。「なんやねん!自分の腕前を棚に上げて。イヤンイヤンってあんたはルーキー新一か?痛いやないか!」と吠えたくもなりましたが何とかグッとこらえて辛抱しました。 その後3分ほど止血ベルトをしたままジッとしてなあかんかったのですが、後から来た同僚に「あれ?バビさん。何で両手にベルトしてますねん?」と聞かれた時は、情けなくて涙がこぼれそうになりました。おしまい。

2005年5月28日 (土)

雑誌Soul To Soul

Bbnseoym 「なんかエエ物ないかいな?」と押入に仕舞っておいた段ボール箱をゴソゴソあさっていると、ありゃま、こんなの(ソウル・トゥ・ソウル27号、1980年発行)が出てきました。「うーーん、どこでこれを買ったのやろ?記憶に無いな。ひょっとして誰かから借りてそのまま返し忘れたのかな?」とパラパラと中の記事などを見て思い出そうとしたのですが、かなりボケが回ってきたのか、さっぱり思い出せません。しかし、まー、手書きの原稿といい、ホッチキスで止めただけの製本といい、時代を感じさせてくれますな。今なら、パソコン使って、もっと体裁の整った物が作れると思うのですが、しかし、逆にこういった暖かさを感じさせる手作りの本が新鮮に思えるのが面白いところでございます。さすが25年も前の本だけあって、中身も当時を思い起こさせてくれるものばかりで感慨深い物があります。特に「ニューオリンズ・ソウル・レアー・コレクションシリーズ全10枚。予約なしでもお買い求めいだだけます。大阪心斎橋サカネ楽器店」という広告には、感涙を禁じ得まへんわ。
しかし、この本の値段は、僅か100円!いくら今とは貨幣価値が違うとは言え、採算を度外視した設定やと思うのですが、どうでしょう?発行責任者は尼崎に住んでおられた中尾さんという方みたいですが、「ソウルという音楽を広めたいんや!」という思いがビシビシと伝わって来ます。

2005年5月26日 (木)

レイジー・レスター

_kp8d889   コンコン「はい。やー、ライトニン・スリム君。遅かったね?どうぞお入り。レコーディングの準備は出来てるよ。うん?君の後ろで立ってる痩せた若者は誰かね?」「いやー、ここまで来る間にバスの中で知り合った人ですねん。あ、君。ジェイ・ミラーさんに自己紹介しなさい。」「・・あ、は、始めまして。私、レスリー・ジョンソンと言います。歌とハープ出来ます。レコーディングさせてもらえたらありがたいなぁ、と思ってライトニンさんに連れてきてもらいました。」「・・・ま、それは考えん事もないけど・・君の腕を見させてもらってからの話や。ライトニン君この若者の実力の程はどんなもんかね?」「え?知りまへんで。なんせ全然聴いたことも無いよってに。」「ガチョーーーーン!!」

本日は以上のような有名な初レコーディングの際のエピソードを持つレイジー・レスターさんのご紹介です。ルイジアナのハーピストと言えばスリム・ハーポと並んでこのレイジーさんが代表格でありまして、自己名義の作品以外にライトニン・スリムやロンサム・サンダウン等多くのルイジアナのミュージシャンのバックでハープを吹いています。この人の持ち味は何と言ってもジミー・リードに影響を受けた、ちょっとけだるいボーカルと田舎臭いハープの妙にあるのですが、一部では、「ちょっと歌が平板すぎて深みに欠けるやんけ」とか「もう一つインパクトが無いで」といった声も聞かれます。
しかし、私は、この人独特の雰囲気が好きでございまして。ストレッチ体操をして筋肉をほぐすように、精神が緊張して疲れた時は、この人の音楽を聴いてリラックスするようにしております。
このレイジーさん、60年代半ば以降アル中になってしまい、一時は姿を消してしまったのですが、長いブランクの末、90年頃からまた音楽活動を再開するようになったようです。ちょっとした町内のプレイボーイといった風貌がなかなかいいですね?

2005年5月24日 (火)

プロジェクトX、おまえもか?

大阪府立淀川工業高校の合唱部を取り上げたNHKの「プロジェクトX」の内容の不適切さに対して抗議の声が上り、NHKもHPからその放送紹介を削除せざるを得なくなったというニュースは耳にされたでしょうか? 実は、この件について、地獄耳の私は、放送直後、たまたま近所の淀川工業関係者の方からお話を伺っており、「それは、ひどい話ですな?でっち上げた虚偽に基づくドキュメンタリーを臆面もなく放送するとはNHKも末期的状態に陥ってしまってるみたいですな。」とその時は呆れただけだったのですが「しかし、このままでは視聴者が誤解したままで終わってしまう。少しでも真相を書かねば」と、このblogでご紹介しようと思っていた所でした。しかし、本日、朝日放送でもこの問題を取り上げてくれたので、その必要も無くなりいくぶんか、ホットしたのですが、それにしてもムチャクチャな話ですね。
これまでプロジェクトXという番組は、それなりに信頼できると勝手に思いこんでおったのですが、見事に裏切られましたな。ま、明日以降も朝日放送でこの問題を追求するみたいなので今後の展開に注目していきたいと思います。

2005年5月21日 (土)

イシュマン・ブレイシー

本日も、がちゃこさんのblog(イシュマン・ブレイシーの容貌についての実証的考察)を読ませていただき、大笑いさせていただいたのですが、このままでは、このイシュマンさん、只の「アホ顔したオッサン」というままで終わってしまいそうで、それではあまりに身も蓋もないと思われるので、本日は、この人の逸話をご紹介することで名誉の回復?をはかってあげたいと考える所でありまする。

☆以外、イシュマンさんは、喧嘩が強かった!
  仲間の一人に片足の「ワン・レッグド・サム」という、過去に2〜3人あの世に送りこんだ乱暴者がいてたらしいのですが、この男、たびたび酒飲みやが大人しいトミー・ジョンソンに対し「俺の言うこときかんかい!」と松葉杖でどつき倒したりと乱暴狼藉を働くことがあったらしい。しかし、さすがのサムも、イシュマンさんには歯が立たず、彼の前では小さくなってたと言う話ですな。

☆以外や以外、あのルイ・アームストロングに誘いをかけられた
  1929年、ウィスコンシン州グラフトンでの録音の帰路、シカゴに立ち寄った際、たまたま同地に滞在していたルイ・アームストロングから「ワシのバンドでギター弾いてくれんかね?週6ドル払うけど。」と誘われたものの「いやー、もそっとミルウォーキーちゅう所で、金になるエエ話がおますねん。ごめんやっしゃ。」と断ってしまい、(結局、この話もオジャンになるのですが)人生最大のチャンスを逃がしてしまったと言うことです。

  と、ここまで書いてきたものの、「ほんまにほんまやろか?」という疑念が沸いてきたのですが、ま、イシュマンさんが改心してから自分で話してた事なので、本当の話としておきませうね。

  本日画像はありません。なんせ、この人の写真って1枚しか残ってないので・・・

2005年5月20日 (金)

懐かしい暖かさ

いやー昨日は、がちゃこさんところで電蓄にまつわるエエ話聞かせてもろうて感激しましたわ。
子供の頃はテレビが調子悪いといえば、近所の電気屋のオッチャンがやってきて「あ、これは真空管がいかれとるんですわ。」とか言って修理してくれたり、当てもんやっても、ちっとも当たらずベソかいてる子供に「ポンセンあげるから元気だしや。」とか言って慰めてくれる駄菓子屋のオバンがおったり、人間同士の触れあいっちゅうか暖かいものがあったなぁ。貸本屋とかタバコ屋とかがどんどん死滅して行く一方で、コンビニとか大型店舗ができて、今の世の中は便利で快適になったけれども、はたして本当の意味で豊かになったんやろか?と思う今日この頃でございます。

2005年5月18日 (水)

ジューク・ジョイント・ブルース

Vg6yiepr 一瞬「お化け屋敷か廃屋かいな?」と思わせるようなトタン板を張り合わせたボロボロの建物。何を隠そう本日のこのアルバム(BC23)こそ、私にとって記念碑的な奴であります。昔々、アベノのアポロビルにあった三○楽器のレコードコーナーの片隅でこれを見つけたのですが、最初これを見たときは「何じゃこれは?ハハハハ。」とそのまま他のレコードを漁っておったのですが、何故か気になってしかたがない。再び手にとってしげしげと見ているうちに「ジューク・ジョイントって何やろ?この建物のことやろか?ブルースって書いてあるぞ・・・そういえばディランも海賊版でin the eveningとかなんとかいう曲をやってたな。あれがブルースという物らしいが・・しかし、こんな所でどんな音楽が演られてたのやろ?聴いてみたくなってきたぞ。それに例によって便意ももよおしてきたし長居もできん。ええいままよ!」とばかり買ったのが運の尽き、それ以後、ブルースの底なし穴に引きずり込まれてしまったのでありました。
内容はウェストコーストのブルースを中心としたオムニバス盤ですが、1曲目のデトロイトのエディーバーンズを始め、ジミー・ウィルソン+ラファイエット・トーマスのギターそれにシカゴのビッグ・ボーイ・スパーアーズとなかなか渋い作品が集められております。それにしても何故こんなのが普通のレコード屋に並んでいたのか今でも不思議でして、レコード屋のオッサンもレジでこれを見てギクッとしてた所から見ても何かの間違いやったにちがいないと踏んでるのですが・・・それとも悪魔の仕業やったりして。
ちなみにジャケットの建物はテキサス中部のジューク・ジョイントということです。「こんな所でロバート・ジョンソンやサン・ハウスなんかが演奏してたんや」と想像力がかき立てられますね?

2005年5月17日 (火)

ザ・ベスト・オブ・フィメイル・ジャイヴ・シンガーズ

A_vbr6df 「濃厚なブッカ・ホワイトの後は、お口直しとして、ちょっとイカシタ女性の紹介を。」と思ったものの、自分でも呆れるほど、この手の奴はちょっとしか持ってません。最近mojoさんの所では、ビシバシと紹介されてるのですが・・・「やっぱり、ワシの人生どこかで間違ってしまったのやろか?」と今更ながら愕然としましたな。しかし、何とか引っ張り出してきたのが本日のCDでおます。この中で私が存じ上げていたのは、ヤス・ヤス・ガールやカミル・ハワード(ロイ・ミルトンの嫁はん)、それに以前ご紹介したリル・グリーン、アルバータ・ハンター、ロゼッタ・サープぐらいで他の方々は、ほとんど初顔合わせだったのですが、これがまたそれぞれに色ぽい。特にアイダ・ジェームスやクレオ・ブラウンちゅうネーチャンは最高ですな。その昔「骨まで愛して」という歌謡曲がありましたが(すんません古い話で)、骨まで溶かされてしまうセクシーさでございます。「男性に媚びを売るような女性はけしからん!」と中ピ連が文句を言ってきても、こればっかりはどうしようもない、と私は言いたい!ちょっと疲れから頭が錯乱してきたので、このへんにしておきますが、出来たらこのあたりの音源もドシドシと出して欲しいものだと思っております。ハイ。

2005年5月15日 (日)

たまには懐石料理でも

Ywyqy80l 本日、職場の歓送迎会があり、仁徳陵のそばにある丸三雪陵庵という所で懐石料理をいただいた。ま、こんな機会でもない限り、敢えて高いお金を出してまで食べに行こうとは思わないのですが、今日行った所は、なかなか歴史を感じさせる料亭で、ちょっとレトロな雰囲気が楽しめて、バッチ・グーでした。(はまぁさん、真似して堪忍。)
ちょっと、早く着きすぎたので、仁徳陵を一周したのですが、けっこう時間がかかった上に、中に入れないので、あまり面白くなかったですわ。

2005年5月13日 (金)

ブッカ・ホワイトその四

G6q6rvnb 「刑務所には2年ほど入ってたのですね?」「そうや。けど、刑務所の中の生活のほうが、娑婆の生活よりも楽やったで。」「その時ですね?アラン・ロマックスが国会図書館のためにブッカさんの2曲を録音したのは。」「Sic 'Em Dogs OnとPo' Boyやろ?しかし、あの時は正直、吹き込む気はなかったんや。なんせ『タダで吹き込んでくれ』と言われてね。ふざけとるやろ?けど、遠路はるばる刑務所まで来よったし、気の毒に思ってサービスしたったわけや。その後、釈放されてからオーケー・レーベルに12曲を吹き込んだのやが、ギターはビッグ・ビル・ブルンジーのを借りて録音したんや。1曲あたり17ドル50セントの契約でな。」「そのブルンジーさんは、『ブッカの奴、レコーディングのために牢破りしよったんや』てなことを言ってはったのですが。」「わはは、なんぼ若い頃は乱暴者のブッカさんと恐れられたワシでもそこまではせんよ。大ボラや大ボラ。大体ブルースやるような人間は、たいがいがホラ話が大好きやからな。それから・・」「ちょっと待ってくださいブッカさん。たしかボンボンやったという話では。」「君ね。人の話の腰を折らんといてくれるかな。あー気い悪。んなことはどうでもええやろ。」「すみません、最後にお聞きしますが、B・Bキングさんとは従兄弟同士の関係らしいですね?」「あ、ライリーの事かいな?そうやで。あいつがまだペーペーの頃にギターの手ほどきをしたったし、ギターもやったよ。たしか1947年頃やった。」「どうもありがとうございました」「いやいや。また、聞きたいことがあればいつでもおいで。」  完