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2005年3月

2005年3月31日 (木)

息子旅立つ

Rhqh7u28 昨日、東京の八王子にあるC大学の法学部への進学が決まった息子が旅立ちました。残念ながら第一志望校の大学は、前期・後期ともに落ちてしまい、本人にとっては不本意な結果に終わってしまったのですが、捲土重来、自分の夢を実現させるためにも頑張って欲しいと思っています。
息子にとっては、初めての一人暮らし、それも遠いお江戸での生活ということで、いささか不安もありますが、来年には二十歳になるということで、ぼちぼち完全に親離れして欲しいという思いも一方であるのも事実ですな。
今日、たまたま家の庭を見たら、息子が幼稚園の時に植えたスイセンの花が元気に咲いていました。タイミングよく、息子の門出を祝ってくれているように感じて、柄にもなくちょっとセンチな気持ちになりました。

2005年3月29日 (火)

ガーフィールド・エイカーズ

1i4zxtpv ミシシッピーのブルースといえば、当然、チャーリー・パットンやサン・ハウス、ウィリー・ブラウンそしてロバート・ジョンソン等のデルタ・スタイルを想起しますが、テネシーとの州境のハーナンドーも実は、個性的で素晴らしい人達を輩出しています。
ジム・ジャクソンにロバート・ウィルキンスそして本日ご紹介するガーフィールド・エイカーズもその一人でございます。ほとんどワンコードで続く「コットンフィールド・ブルース 」には、催眠術にかけられたように、いつのまにやら引きずり込まれてしまいます。
1929年9月25日にピーバディーホテルで行われたこの時のレコードセッションは全部で11回行われたメンフィスでの南部出張録音の中でも最高のものの一つといわれています。 他にメンフィス・ミニーとタンパレッド、そしてわずか2曲しか録音しなかったキッド・ベイリーもこの時に吹き込んでいます。(ちなみに、ガーフィールド・エイカーズ達はこの時に初めてメンフィス・ミニーとタンパレッドが使用していたナショナル製のスチールギターを見たということらしいです。エイカーズさんは、安物のステラ製のギターを使っていたそうな。)
さてさて、この当時は技術的制約からか、作成されたワックス原盤は、すぐさま、おが屑と氷を入れた箱に詰められて保管されたとの事でございます。またカーボン製のマイクも熱に弱く、そのため南部への出張録音は暑い夏場には行えなかったらしい。
さらに、録音する技師達も苦労したようで、ブルースマン達が足でリズムをとりながら演奏するために「そんなに動かれたら、マイクが振動して録音できんがな」てことで靴を脱がせて演奏させたり、足の下に枕を置かせて演奏させなあかんかったってことです。
ミシシッピー・ジョン・ハートも「いやー、昔の録音は大変やったで。だだっ広い部屋の中で、『じっとしときや!マイクの位置調整するから。動いたらあかんちゅうねん!」とか言われましてね。録音の後の数日間は首が痛くて痛くて往生しましたで。」てなことを言ってましたな。
また、どこのレーベルも録音場所には、ほとほと困ったようで、普通のホテルは黒人の立ち入りお断りで使えないし、教会を使おうとした時には「悪魔の音楽録音してどうするねん!」と暴動が起きそうになるし、スケート場では、酔っぱらいにからまれるし、結局賭博場で何とか録音できたって事もあったらしい。
また、ブルース・マン達も録音時間が約3分以内という技術的制約に悩まされたようで
ガーフィールド・エイカーズの相棒で、この時にセカンド・ギターを弾いたジョー・キャリコット(60年代に再発見された)の話では録音前に、時間を計って練習する必要に迫られたらしいです。 てことで ガーフィールド・エイカーズの写真をアップしようと思ったのですが、そんなものは存在するはずもなく、(キャリコットの話では、録音後にホテルの前でキャリコットの伴奏で踊るエイカーズの写真がカメラマンによって撮影されたという事ですが、発見されていません)。 キャリコット さんの画像で勘弁してちょうだいね。

2005年3月27日 (日)

そんなアホな!

アクセス解析を見てみたら、なんと本日だけで400近いアクセス数が!絶対にこの数字は可笑しいと思う。
以前にも、たまたまアクセス数見たときにも、わずか数分で100近く増えたことがありました。
このあたりの仕組みはよくわからないのですが、サーバーの異常か何かではないやろか?どうも最近、異常に重くなったり編集がうまくいかなかったりするのもこのあたりに原因があるのでは?関西どっとコムさん、きっちりと点検お願いします!

2005年3月26日 (土)

How To Play Blues Guiter

Qaqbjuwt 私が高校生の頃、日頃は全然めだたないけれど、フラメンコギターを弾かせたらプロ級という友人がいました。ある時「君のようにバリバリとギター弾けるようになるにはどんな修行を積んだらええんやろ?教えてたもれ。」と訊ねたところ、「あ、それやったら教則レコード聴いて勉強するのが一番や。」と勧めてくれたのがこのレコードでした。     いやー、最初に中の解説を読んで吃驚しましたな。「ボトルネック?え?オープ ンGチューニング?わからん世界やな。ま、とりあえずは聴いてみよ。」と続いて針を 落として又、吃驚。「ギターってこんなに凄い音楽を作りだせるんかいな?フューチャー・ブルース?こんなの弾きながら歌えるんかいな?ヒョエー」と、当時は簡単なコードをジャーン・ジャーンとかき鳴らすことしか知らなかったフォーク少年の私にとって は正に人生を揺るがす体験でしたな。そこで、早速本物を聴いて見ようと近所のレコード店に走ったのですが、その当時、戦前ブルースのレコードなんか売ってるはずもなく 店のオッサンも知識が全然おまへん。「ウイリー・ブラウンとか、なんとかレモンとか 言う人のレコード置いてますやろか?」と聞いても「誰やそれ?レモン欲しかったら果物屋へ行きなはれ。」てなもんで埒があかない。その後、心斎橋のサカネ楽器店という所でブルースのレコードが手に入るという情報をニュー・ミュージック・マガジンで仕入れて、その後のブルース一直線の人生が始まることになるのですが、そういう意味で非常に思い出深いレコードです。
 ちなみにこのアルバム。ブラインド・ゲイリーデイビスの弟子のステファン・グロスマンって人とオーロラブロックっていう女性がギターを弾いてます。

2005年3月24日 (木)

馬の話

Qu6epiix デュリャー!と障害を飛越する人馬一体となった晴れ姿。
てな場面は実際の所、盆と正月みたいなもので一年のうち
ほとんど無いのが馬術部生活でありました。
大半の時間は、馬房の掃除、餌の準備、水やり、マッサージ、草狩り、泊まり込み当番、餌代のためのバイト・・・
授業にも満足に出席できず、厩舎の窓を開ければ、そこにはボタ山ならぬ、馬糞の山。はっきり言って、よほど馬が好きでないと続けるのが難しい生活でした。
てなことをぼやいてても仕方がないし、ちょっとは自慢でもさせていただこうと思って、自分の写真を探したのですが、草を刈っている姿とか、馬場の周りの杭を打ってる所とか、馬の汗を拭いている姿しか無い・・・shock
そこで、仕方がないので嫁の写真を引っ張り出してきてアップさせていただきました。
実は鬼嫁も、学生時代に馬術をやってまして、写真は関東北大会で優勝した時に新聞に掲載されたものとのことです。
結婚するまで、鬼嫁はそのことを私に隠しておりまして、何も知らない私があれこれ馬の話をするのを聞いて、腹の中でせせら笑っておったという、実にひどい仕打ちをうけました。オナゴの遠謀恐るべし!!
それ以来、どうも嫁には頭が上がりません。トホホshock
ちなみに、私、自慢では無いですが、ゴールした経験がありません。途中でいつも失権ばっかりでした。
馬さえよければ負けへんぞ!と負け惜しみを言って
本日はおしまい。 なんのこっちゃ?

オークランド・ブルース

Vfxesych ジミー・ウィルソンのバッキングを取る、ラファイエット・トーマスの素晴らしいギターが聴けるアルバムとして有名なのが本日のLPです。ジミー・ウィルソンの重厚で陰鬱なヴォーカルと、憑かれたように弾きまくるトーマスさんのギター、臭っさいホーンリフ。マジで落ち込みまっせ!体調の悪い時に聴いたら「フリスコ・ベイ」に本当に身を投げてしまいかねない音楽ですな。
ウイリー・B・ハフって言う謎の女性シンガーも一曲含まれているのですが、これまたハード・コアですがな。ウイリーという名と野太い声から、しばらくは男とばっかり思いこんでしまった程です。他にもK・Cダグラスとかシドニー・メイデンとかの田舎スタイルの実力者も入っておって、なかなかバラエティーに富んだアルバムであります。
ちなみに、ラファイエット・トーマスさんに話をもどすと、この人もギターを歯や足で弾いたり、背中で弾いたりする技を持ってまして、「シング」という怪獣映画から取ったあだ名を持ってたそうです。
色んな人のバッキングをした割には、知名度は低く、晩年はゴムホース工場の工員として働きながら、細々と演奏活動を続けていたそうです。1977 年に49才でお亡くなりになりました。合掌。

2005年3月22日 (火)

手りゅうだん爆発

 自衛隊から委託を受けて、古くなった手りゅう弾の処分をしていた北海道の会社で爆発事故があり、一人の方が亡くなったらしい。古くなった武器の処分は、自衛隊が自己責任で行ってるのやろうと漠然と考えていた、というかほとんど考えもしなかった自分には、非常にショッキングな事件です。
まさか、そんな危険な仕事を民間会社が請け負ってるとはおそらく国民の多くも知らなかったのではないでしょうか?(ちなみに、事故のあった会社はこれまで地雷の処分を任された事があり、手りゅう弾ははじめてらしい)
よく考えてみると、核兵器でも通常兵器でも当然、耐用期限があるはずで、実際に使用せずとも処分せねばならないのは当たり前の事ですが、旧ソ連製の核が拡散してしまったり、兵器ブローカーによって旧式兵器が転売されたりといった問題が指摘されている所から考えると、どこの国も、兵器の製造や開発には熱心やけど、後始末については、何も考えてないのとちゃうやろか?その点、日本は、武器輸出3原則等で、まがりなりにも平和主義を守ろうとしてきたと思うのですが、最近、「この不況を打開するにはやね、日本も固いこといわんとやね、技術力を駆使して優秀な兵器を開発して、どんどんと外国に売りまくることが大事や」てなことを声高に主張する人達が増えてきたようで、ちょっと恐ろしい気がします。

2005年3月21日 (月)

ラファイエット・トーマス

Jhulynz5 サンフランシスコ周辺のいわゆるベイ・エリア近辺のブルースシーンを支えたギタリス
トの頭目といえば、本日ご紹介するラファイエット・トーマスさんでございます。
ベイ・エリアのギタリストでこの人に感化されたことのない者はいないといわれている程の実力者で、ジョニー・ハーツマンなんかもこの人に大きく影響を受けたといわれていますな。
この人は、Tボーン・ウォーカーや叔父のジェシー・トーマスに影響を受け、「よし、僕も立派なギタリストになるんや!」と決意し、15才の時に缶詰工場のバイトで稼いだ金でスチール製ギターを購入し、その後学校や映画館、教会とどこへ行くにもギターを持って歩き、鬼のように練習に励んだそうです。そのうちに高校生の身でありながら、アル・シモンズの率いるジャンプバンドやリトル・ボブ・ヤングバンドなどでギタリストとして参加するようになり、とうとうジミー・マクラクリンに見いだされてそのギターテクニックをレコードに刻み込むこととなりましたな。(この頃には勿論ギターとアンプを手に入れてます)
1952年にはマクラクリンバンドの一員としてツアーをしていた時に共演していたBB・キングにギターテクニックを伝授した逸話が残されています。
ヒューストンはディクソンズホテルの一室
BB「いやー、トーマスさんって結構ギターが巧いって噂ですが・・・」
トーマス「いやー BBさんみたいなスターさんに誉められるとは・・照れるな」
BB「ちょっと弾いて見せてもらえませんかね?」
トーマス「よろしおま。   (テケテケテケ)」
BB「ほほー 同じフレーズを私も弾かせてもらいます  (テケテケケテケ)ありゃ  トーマスさんのような感じが出せないぞ?もういっぺんお願いします。」
  トーマス「よろしおます。(テケテケテケ) 」
BB「再度挑戦。 (テケテケケテケ)ありゃ?やっぱりあかん。 なんでやろ?」
トーマス「あ、それはやね 最初にフラットの位置を弾いてから弦を押し上げるとええんですわ。最初からそのままの位置を弾いたらあきまへん」

  てことで、おそらくチョーキングの事だと思うのですが・・
  しかしなー、ほんまやろかこの話。リビングブルースに書いてあったんやけど・・・

2005年3月20日 (日)

モダン・ブルース・アンソロジー

06wwgpoa 本日ご紹介するアルバムは、ケント、モダーンレーベルのシングルを集めたアンソロジーでございます。Tボーンとローウェル・フルソン以外(後はラリー・デイビスぐらいかな)に有名な人は含まれていませんが、なかなかの傑作揃いでございます。
中でもアーサー・K・アダムスのShe Drives Me Out Of My Mindは強力!の一言
必殺のボーカルと緊縛感あふれるギターに悶絶しない人はいないでしょう。
日暮氏による当時の解説では、ギターは別人が弾いているように書かれているのですが、実はギターも本人が弾いていることが判明したようで、Pヴァインから1999年に発売されたウエストコースト・モダンブルースアンソロジー2の解説に、そのようなことが書かれています。あとは、キング・ソロモンさんアル・キングさんの2曲も非常に味わい深いですな。どうしても、ビッグネーム以外のブルースマンはアルバムを出すことも叶わず、散発的にシングルを出す程度に終わってしまい、なかなか一般の我々には聴く機会が無いのですがこういった形で紹介されるのは大歓迎でおます。
ただ、残念な事に、ほとんどの人達の経歴などがわからないのが辛いところです。
ちなみに、このアルバムはモダン・RPMマスターズシリーズの中の1枚としてトリオレーベルから発売されたものですが、デザインはすべて後藤さんって人が担当しており、気に入ってます。

2005年3月19日 (土)

銃社会アメリカ

Fm5udrdt 今から20年ほど前に、米国はニューヨーク州のグレイアムズヴィルという所でホームステイをさせていただいたことがあります。ニューヨークって言うと摩天楼のそびえ立つ大都会というイメージがありますが、さすがに米国は広い。
同じニューヨーク州でも私の行った所は、鹿や熊、オオカミまで出没するという、とんでもない田舎でありました。
テレビは電波が届かず、砂の嵐状態やし、近くに何も遊ぶような所も無いし退屈この上ない所でしたな。
そんな中で私がお世話になった一家の最大の娯楽が、なんと庭に標的を立てて射撃を楽しむということでした。
本日の画像で射撃をしている女の子は当時10才で、何と自分の銃を撃っている所です。
我々の感覚からすれば「子供にそんな物騒な事を許してどないすんねん!」といった所ですが、ここの一家の人達にとっては、子供に包丁使って料理させる程度みたいな感じでしたな。銃の所持禁止をめぐって、アメリカ社会では常に根強い抵抗があると言う背景には、銃そのものが生活の一部になってしまっている現状もあるのではないかと考えさせられました。

下の画像は「あんさんも、撃ってみなはるか?」と大将に勧められて大喜びする、脳天気な私でございます。