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2005年1月

2005年1月30日 (日)

ハーピスト?ジョン・リー・フッカー

Vcbqkj6q 以前にアメリカン・フォークブルース・フェスのDVDについて御紹介しましたが、そのvol2の最後の曲は、ビッグママソートンのシェイクダウンというインスト曲なのですが、ビッグ・ウォルターとJBルノア、ドクター・ロスそして問題のジョンリーさんが順番にハープを吹いていくという趣向になっております。(ハープはビッグ・ウォルターとドクター・ロスの二人が自分が吹いたあとJBとジョンリーにそれぞれ手渡してあげてます)「わ、さすがにビッグ・ママ・ソートン嬢はアダナの通り巨体や!ハープも上手いな。ビッグ・ウォルターが上手いのはあたりまえか?え?JBさんもなかなかやで、ドクター・ロスの出す音ってえらい太いな、皆微妙にちがう所が面白い。」と途中までは何の問題もなかったのですが、さ、ここからですわ、いよいよジョンリーさんの出番になるのですが、ドクター・ロスからハープ渡された後、吹き始めるタイミングが若干遅れてしまいます。そのうち、だんだんフレーズが単調になってきて音もえらい小さくなってきます。さらには、目が泳いできて動揺している様子が見ているこっちにまで伝わってきますな。「なんや!ジョンリーはん、実はハープ下手やったんや!」気の毒なのは、他の4人の方々ですな、途中で演奏を打ち切るわけにもいかん。盛り上げようと、にわかに後ろで踊ってる3人の動きが激しくなり、ビッグ・ママさんも「ヘイ!」と掛け声をかけたりして、ジョンリーさんに奮起を促したりしますな。この後、再び二順目を向かえ、何とか持ち直しますが、やめときゃええのに、また最後にジョンリーさんがシャシャリ出てきます。しかし、吹き始めた所で、タイトルバックが流れ、演奏の音がフェイドアウトしていきます。(やれやれ。)「しかし、なんでジョンリーさん、わざわざハープ吹くことになったんやろ?他の連中も実力を知らなかったのかな」とずっと思っていたのですが、つい最近、ハタと気付いたことがあります。「ジョンリーにハープを手渡したのは、ドクター・ロスや!この人はたしか左利きやということでハープを上下逆さにして吹くのやった。(イマイチ理解できんが)、てことは、吹いてる途中で『ありゃ!穴の左右が逆になっとる!』とジョンリーさん気付いて慌てたが、カメラまわってる事もあってそのまま、無理して吹き続けて失態を晒したのかもしれない。」
どうです?この迷推理
あきまへんかな?
画像は、真ん中でハープ吹くドクター・ロスさんと、次の順番を待っている左のジョンリーはん

2005年1月29日 (土)

ケニー・バレル・トリオ

Gvpohksj 今日は、どんなレコードを紹介しようかと、レコードを漁っていたら、これが出てきました。「あれ?ジャズのレコード
や、なんでこんなのがあるのやら・・あ!まちごうて弟のヤツ持って来てしもた。何々『ケニー・バレルのヴィレッジ・ヴァンガードにおけるライブ・アルバムは、数あるギター
・ジャズ・アルバム中の傑作の一つだ!』って書いてるな。ほんまかいな?ま、とりあえず聴いてみよ。」と針を落とした所、「ええがな、ええがな」と感動しましたな。これまでジャズギターは、チャーリークリスチャンとかフィル・アプ・チャーチとかコーネル・デュプリーとか・・・あとは、ジョージ・ベンソンぐらいしか聴いたことが無く、「テクニックは凄いのかもしれないけれど、今一つグワーーーと迫るものがないなー」と思ってたのですが、人生も半ばを過ぎた今になって、ようやくその醍醐味に気付かされた思いがしますな。ケニー・バレルって人が、ジャズシーンの中でどのような位置を占めてるのか、どういう系統に属する人なのかはさっぱりわかりませんが、機会があればドシドシと聴いてみたいと思います。ま、今回、耳を傾ける気になったのも、mojoさんや24Mtさんのblogを日頃から拝見させていただいていることが大きかったように思います。
本日は、久方ぶりにドロドロの世界から抜け出して、ちょっと背伸びをしてみました。wink

2005年1月28日 (金)

あ!もう100超えてる

いやー、blogの何たるかもよくわからないまま、ひたすら駄文を書き連ねること約3ヶ月。気がつけばエントリーが100を突破していました。この間、多くの方に訪問していただき色々な面で刺激も受けることができました。当初は「ブルースなどというマイナーな音楽について書いた所で、関心を示してくれる方などいてるのかいな?」って感じで始めたわけですが、さすがに世間は広い!奇特な方々(失礼)もおられることがわかりました。そうなると、あまりいい加減なことも書けません、自分なりに色々とレコードや資料なんぞを引っ張り出したりして、見るに耐える内容を提供できるように努力してきたつもりです。
そうした中で、�訪問して下さる方々は、なぜかマックを使用されている方々が多い �必ずしも、力を入れて書いたエントリーが多くの方に見てもらえるとは限らす、逆に苦し紛れに何も考えず、書き連ねたエントリーの方が見て貰えたりする。(なんせ、自分の記事でダントツのナンバーワンは日記の「ネーミング」というヤツやもんねshock)ということがわかりました。「それが、どないや?」と言われると困るのですが、ま、これからもボチボチと書いていきますよって、よろしゅうたのんまっさ!   おしまい

2005年1月27日 (木)

まあまあ そう怒らなくても・・・

最近、よく人身事故とか列車故障とかで、電車のダイヤが乱れることが多い。今週も月曜、火曜と連続して大和路線が遅れました。火曜などは、雨が降って来たので、何とか最終バスに間に合う電車に乗るために、新今宮駅で必死にダッシュしたのに肝心の電車が来ずガックリしました。
「なんぼなんでも、二日連続は堪忍してほしいで」と思っておった所、ちょうど、酔っ払いのオッサンが駅員に「くぉらー、ええかげんに さらせよー 金返せ!」と詰め寄る場面に出くわしましたな。ま、腹立つ気持ちはわかるけど、駅員に怒ってもしゃーないで。こんなことは、冷静に考えれば誰でもわかると思うのですが、最近子供だけではなく、ええ年こいたオッサン連中の間でも、すぐに前後を忘れてキレル人が増えてきたように思います。それだけ、皆の心の余裕が無くなってきてるのやろか?

2005年1月26日 (水)

リトル・ウォルター その3

Fjy8skun さて、アンプリファイしても良し、生で吹いても鬼に金棒のウォルターさん。多くのハーピストに影響を与えることになります。キャリー・ベルさんもその一人で、憧れのウォルター直々に教えてもらうことになったそうな。「サードポジションは演れるか?って聞かれたから『できん』ちゅうたら、いきなり自分で吹いてみせてくれて、『さあ、この通り吹け。ちゃんと出来んと、しばくぞ!』って無茶なこと言われたんや。しばかれた後で『あかん、このままでは、本当に殺されてしまう』と必死に吹きましたで。おかげで、マスター出来て何とかハープで飯食えるようになりました。」てなことを言ってます。ただ、ウォルターさん、ちょっとミュージシャン仲間の間では評判が芳しくなかったのも事実でしたな。時々バンド連中に金を払わないってことがよくあったそうです。ジュークのメンバーもルイス・マイヤーズが抜け、代わりに入ったロバート・Jr・ロックウッドも抜け、ルーサー・タッカー、フレッド・ビロウと次々とウォルターの下を去って行きました。唯一の親友であった、ヘンリー・ストロングという人も、喧嘩の末、女に刺殺されてしまいます
(Last Nightという作品は、この亡き友に捧げた歌です)
さらに、ウォルターさん、やたらと喧嘩好きで、しょっちゅう無茶をやっておりました。(そういえば、Hate see you goやったかの顔面大写しアルバムジャケットで、額を縫った痕がわかりますね?)このことが、結局命取りになってしまいました。ルーサー・タッカーさんが語ってくれます「ウォルターが死んだときは、俺は町にいなかったけど、友達から聞いて知ってるぜ。ウォルターが友達にナイフ渡して『クラブの外でバックアップしてくれ』って頼んだらしい。その後でウォルターが出てきたんだけど、相手の男にぶんなぐられて、舗道でひどく頭を打ちつけたわけさ。それでひどい頭痛がするってことでアスピリン飲んで床についたんだけど、それっきり二度と起き上がらなかったそうだよ。」
ウォルター38歳にして、その人生を終えることとなりました。
お侘びと訂正
以前、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスについての記事で「エルモアやリトル・ウォルターの動いてる映像は、見る事ができない。」てな事を書きましたが、なんと、そのDVDの3巻で生ハープ吹いてハウンド・ドッグ・テーラーとココ・テーラーのバッキングしている映像が収められておりました。ええかげんな事言ってすみませんでしたshock

2005年1月25日 (火)

リトル・ウォルター その2

Nnrlfe2p さて、シカゴに出てきたウォルターさん。ベビーフェイス・リロイやサニーランド・スリムなどと演奏するかたわら、Ora-Nelleレーベルという極小レーベル(シングル2枚出して倒産してしもたshock)に自己名義で吹き込みを開始します。なんと、この時はギターを弾いておりますな。ちなみにウォルターがハープでバッキングを務めた謎のブルースマン「オッサム・ブラウン」のオラ・ニールブルースって作品は初期シカゴブルースの最高傑作として知られています。
その後、1948年には、マディーのバンドに参加し、シカゴ・バンドスタイルの形成に大きな役割を果たす事となります。
こうしてマディーバンドの一員として、それなりにシカゴでは顔役になったのですが、度々、マックスウェル・ストリートで演奏することを好んだらしい。大将のマディーさんは「君ね、ワシのバンドメンバーの一員としての自覚を持ってもらわんと困るで。そんなミットモナイことやめんかい」と注意したらしいのですが、そんな事はどこ吹く風、とうとう自分でバンドを結成し、独立する事を考えます。そこで目をつけたのが、当時ジュニア・ウェルズのバックバンドだったエイシズ(ルイス・デイブのマイヤーズ兄弟のベース・ギター、フレッド・ビロウのドラム)でしたな。強引に彼等を引き抜いて来ます。(ジュニアさん気の毒やね?)
そして52年にチェッカーレーベルから発表した大有名曲のジュークが大ヒットとなり、一躍ウォルターさんは、時の人になりましたな。この頃のウォルターさんについて、ギターでバッキングを務めていたルーサータッカーさんは次のように語っております。「いやー、あのウォルターのハープは全くすごかったね。バンドスタンドに客が近寄ってきて、ウォルターの手を開かせたもんだよ。あんなすばらしいサウンドを出すなんて、手に何をもってるんだろうってね。サックス奏者とジャムることもよくあったなあ。サックスが吹く一音一音をウォルターがちゃんと吹いてかえすんだよ。ほんとに誰もやれないことをウォルターはやってたね。一つのハープで五つのポジションを吹くんだよ。」
マイクを手でハープに密着させて電気アンプに通して増幅させるってなことは、今では別に驚くような事でもないですが
最初に天才ウォルターさんなんかが様々なテクニックを駆使して挑戦したから普及したとも言えるのではないでしょうか?凡百のミュージシャンなんかが初めてやってたら「なんや、ただ音が大きくなるだけやん。」の一言で終わってたかもしれませんね?

2005年1月24日 (月)

リトル・ウォルター

Gpoyz4dr 戦後のシカゴ・ブルースの確立に大きな貢献を果たすと共に
ハープ(10穴ハーモニカ)をアンプリファイすることで、新たな可能性を切り開いた天才的人物が、本日御紹介するリトル・ウォルターで御座います。日本でもサニーボーイ�やジュニア・ウェルズ等と共に、ハープファンの間では絶大な人気がある人ですな。1930年にルイジアナ州はアレクサンドリアに生まれたこの人は、小さい頃から音楽に目覚め、8歳からハープを吹き始めるようになりましたが、なんと12歳の誕生日を迎える頃にはニューオリンズのクラブでプロとして吹いておったというから凄い!(「天才ぶりがうかがわれる逸話です」ってなことが何かに書いてあったが、「親は、何しとってん!親権放棄か?」とつっこみたくもなりますが)その後数年間はルイジアナ州やアーカンソー州ヘレナ、テネシー州のメンフィス、セントルイスと転々としながら、徐々に北上し、1947年に、遂にウインディー・シティー(シカゴ)に襲来、早速、マックスウェル・ストリートで演奏を開始し、小銭を稼ぐようになります。このとき、若干17歳。
この後のことについては、本日時間が無いので、また明日
こうご期待。なお、次回は関係者のキャリー・ベルさんとルーサー・タッカーさんのお話もお聞きする予定です。

2005年1月22日 (土)

Blues Is King B.BKing

Ejmrxm6w 「卑屈な芸人BBキング」という中村とうよう氏の一文を機に、かつて日本でBBの評価をめぐっての大論争が展開されたことがありました。非黒人社会から絶大な支持を受け、ロック界でも有名になった反面、商業主義にいやおう無しに巻き込まれていったBB。ロックミュージシャンとの競演、フィラデルフィアサウンドの導入・・常に一番売れそうなレコード作りを強いられてきたBBに対し、批判的な立場の者は「すでに、黒人社会との繋がりを絶ち、唯々諾々とコマーシャリズムに迎合するBBは、もはや抜け殻同然だ」と手厳しい非難を浴びせました。アメリカ国内でも、軟弱な新しいBBのレコードを「どこが、ブルース・ボーイ・キングやねん!」と叩き割った黒人DJまで出てきたそうです。一方、「最近のBBには、問題があるかもしれないが、イノベーターとしての彼の偉大さは万人の認める所であり、商業化を本人の責に帰するのは筋違いである。」と言う擁護論も強くだされ、そもそもブルース、いや、ブラックミュージックの本質とは何なのか?といったことにまで論争が及びました。
本日のアルバムは「ライブ・アット・リーガル」「ライブ・アット・クック・カウンティー・ジェイル」と並ぶ、代表的なライブ盤の一枚です。1966年にシカゴのクラブで100%黒人の聴衆を前に弾き、歌いまくった作品です。聴衆と自分が望む音楽を表現し共有できたこの時代。BBにとっては、一番幸福であった時期かも知れませんね?

キッド・トーマス、エイス・ホルダー、フロイド・ディクソン

Agcwq7eg 本日は、英国のJSPレーベルから発売された、ウェストコーストのブルースマン3名のシングルを集めたアルバムです。
真ん中がキッド・トーマスという人で、A面に6曲が収められています。一曲目のRockin` This Joint Tonight(なぜかToniteってクレジットされておます)は、凄いロッキンブルースです、音楽性云々を語る以前に、「これでもか!」とばかり疾走します。ハープもひたすらエネルギッシュに吹き倒してくれます。また、3曲目、4曲目には、マーシャル・フックスという私の大好きな謎のギタリストがバックを受け持っており、これも聴きもの。キッドさんは、50〜60年代にかけてロス周辺のクラブで活躍したらしいのですが、70年に殺害されてしまったそうです。それ以外の詳しい情報は全くありません。それにしても何ちゅうヘア・スタイルされておるのでしょう?なにやら目つきも危なそうな人ですね?
次のエイスホルダーちゅう人(左)もミシシッピ出身ということ意外何もわかっていない謎の人物でおます。
ライナーノートには、「このレコードの発売を機に、誰かこの人を探して欲しいもんです」てなことが書かれていますが
「人に頼らず自分で探さんかい!」と突っ込みたくなるところですね?サックスなんかも加えたバックバンドを従えて、生ハープ吹いています。ちょっとユニークな味を出してくれています。
最後は、このアルバムでは一番有名なピアニストのフロイドディクソンさんです。チャールズ・ブラウンの路線を狙い続けた人ですが、イナタさと言いますか、野暮ったさが抜け切れていませんね。そこが、却って魅力的な人ですな。
全曲バックには「ペンペン・コリカリ」ギタリストのジョニー・ギター・ワトソンが弾いており、こっちの方が聴きものやったりします。
まー、ブルースの世界は、本日紹介したような謎の人達が多く、自分好みの人を見つけ出す楽しみもあります。

2005年1月21日 (金)

どうだ!全部 ジャンプ!!

58hjq1ep 吾妻光良氏の選曲によるジャンプ・ブルースの詰め合わせ
「どうだ全部ジャンプ」。 ジャンプ・ブルースについては、以前クリ−ンヘッド・ヴィンソンの所で若干触れさせていただきましたが、このアルバムはスペシャルティー原盤を中心に編纂されたもので、ロイ・ミルトン、パーシーメイフィールド、ジミー・リギンス等の大物からポール・ゲイトン、チャーリー・ゴンザレス等の中堅どころまで、タップリとジャンプの楽しさを味あわせてくれる作品です。
「ん?ジャンプねー・・・」と敬遠される向きもあろうかと思いますが、陽気で脳天気な楽しさも黒人音楽の醍醐味の一つだと思います。世間では、松平竹千代やったか、そんな名前のオッサンの何とかサンバが評判らしいが、んなもんより
数十倍はジャンプの方が楽しおまっせ。
マディーやウルフ等の主食ばっかりでは、どうしても栄養が偏ってしまいます。たまには、デザートにこの手の音楽に耳を傾けるのも一興かと思います。
ちなみに、このアルバムは吾妻光良氏本人による、曲の解説も収められているのですが、これがまた、面白い。楽しみながらジャンプの真髄が理解できるようになって・・ないか。
ま、余分なお金を持ってる方は、騙されたと思って購入してみてはいかがでしょうか。
ちなみに、このアルバムの姉妹品として「これだ1だいぶ ジャイブ!!」ってのもあります。
あ!電池切れのため、デジカメ使えん!