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2004年11月

2004年11月30日 (火)

友達は大切に!

Imyc_0pd 昨日、いきなり高1の娘が「おとうさん、ブルースのCD持ってる?」と聞いてきた。「あたりまえやがな、家にあるレコードとCD、ほとんどブルースやがな。けど、何でや?」と聞くと「クラスにブルース好きな子がいてんねんけど、CD持ってたら貸してって言われてん。」と言うやおまへんか。「げげ!!ほんまかいな?女の子でブルース好きとな?なんぼでも貸したげて。期限はいつでもええで」と、すっかり嬉しくなりましたな。しかし、どんなん聞くのやろ?興味の欠片もない娘に聞いても無駄やろうし、(小さい頃、ピアノを習わせてた折に、パイントップ・スミスなんかを聴かせて、将来はブルースピアノを弾かせようという目論見は見事に失敗した)どうしようかと悩んでおった所、「そういえば、家族でよくライブ見に行くらしいわ。おとうさんが昔ブルース演っててんて。」という話。なんちゅう、うらやましい家族や!ウチなんかワシが一生懸命ブルースのことblogに書いてるのに嫁も長男も全く無視や。なんで一家の大黒柱が疎外されなあかんねん?太陽のばかやろう!青い空なんてだいっきらいだ!!!・・・・失礼。冷静さを失ってしまいました。兎に角そういうわけでマックスウェル・ストリートでのライブ版と日本のローラー・コースターズのCDをお貸しすることになりました。「いやー。その子は実に感心なお友達やな。大切にせなあかんよ。どこに住んでる子かな?名前は何というのかな?」と聞くと、娘がこう言いよった。「おとうさん。何か変なこと考えてるのとちゃう?危ない危ない」 sad本日の画像は第三回ブルースフェスティバルのパンフレット ああ青春の血が騒ぐ!!     

2004年11月28日 (日)

オーティス・スパン

Gzl_fk4f さて、サニーボーイ�によるnine below zero が終了した後は、ピアニストのオーティス・スパンさんの登場です。この人はマディーのバックメンバーとして、多くの録音を残していることで、知られていますが、単独で注目されるようになったのは、ニューポート・ジャズ・フェスティバルでのグッバイ・ニューポートの素晴らしい即興演奏以降のことです。
スタイル的には、ビッグ・メイシオ→ジョニー・ジョーンズの流れをくんでおります。また、ジミー・ロジャースなんかのバックで華麗な右手を披露してくれるエディー・ウェアの影響も非常に強く受けているようです。さて、この人は、1930年、ミシシッピー州の生まれで、フライデイ・フォードというピアニストに影響を受け音楽の道を志すようになったようです。当然、目指すはシカゴ!!「ブルースが盛んやから、左官屋になろう。」と言うわけでもないでしょうが、(すみません。オッサンギャグで)47年からシカゴに出て、昼は左官屋、夜はピアニストとしての生活を始めました。50年代に入り、マディーのバンドに加わって重要な役割を果たすようになりました。このDVDでもご機嫌なブギをちょっとしゃがれた渋いボーカルでもって演奏してくれます。ただ、残念な事に、さーこれからといった矢先の1970年に肝臓癌で亡くなってしまいます。その、わずか5日前には、ギタリストのアール・フッカーが、半年前には、マジック・サムがそれぞれ若くして亡くなっており、69年〜70年と言う年は、まさにブルース界にとって悲劇的な年となりました。

血液型

ヤフーのニュース見てたら、血液型について取り上げた番組について視聴者からの抗議が殺到し、放送倫理なんとかという組織も動き出してるそうや。「A型はこんな性格、B型はこんな性格」というような俗説は、何も最近出てきた話でもなく、明治時代からあるけれども、言われてみれば、最近特にテレビなんかで、頻繁にとりあげられてる様に思う。
そもそも、血液型の分類法は他にも沢山あり、ABO型はその一つに過ぎないし、人間の性格を単純に分類できるはずもないという、至極あたりまえの事が見えなくなっているのやろか。こんなのは、たとえば、お年寄りが「あの人は、羊年生まれやから、性格おとなしい。」とか「丙午生まれの女は、男を食い殺す」とかいった運命論のレベルと大差ない話で、真面目にとりあげる程でもないと思っておったが、どうも最近、やたらと血液型を話題にする人が(特に若者)増えてきたようや。みんな、理性を働かせて思考するのがしんどくて、手っ取り早く誰かが結論を示してくれるのを待ってるのやろか?このまま行くと日本人全体が思考停止状態になって、ほんまに一億総白痴化してしまうのとちゃうやろか?オウムや白装束集団とかのカルトにコロリと惹かれてしまう土壌がちゃくちゃくと育まれているようで、薄ら寒い気持ちになってしもうた。そういえば、ここのblogにもプロフィールに血液型書く欄があるが、何で必要なんやろ?

2004年11月27日 (土)

ウイリー・ディクソン

Zqvjlsff お次は、ベーシスト、ウイリー・ディクソンの珍しいギターの弾き語り。最初は「あれ?ギターじゃなくてウクレレ持ってるのかいな?」と錯覚させるほど、この人の巨体ぶりは際立っていますな。vol1,2のほとんどのバンド演奏では、この人バックでウッドベース弾いてますが、今回は単独プレーで腕の見せ所・・と言う所ですが、はっきり言わせてもらうと
ショボイ・・もともと、そんなに歌える人ではないので期待はしていなかったが、それにしても・・・ギターもポロン、ポロンと爪弾いてるだけやし・・いかにも「夕暮れ時に、人生の悲哀の表現。これがブルースだ!!」とでもいわんばかりの紋切り型の作為ミエミエの所が鼻につきます。と、ぼろ糞に言わせてもらいましたが、この人がプロデュースしなければ、そもそもブルースマン達がヨーロッパに渡ることもなかったやろし、このDVDも存在しなかった事を考えると、貢献度は非常に大きいものがあります。また、チェスレコードの名プロデューサーとしてだけではなく、「フーチークーチー・マン」や「スプーンフル」「ワン・ダン・ドゥードゥル」などの多数の名曲の作曲者としてまさにシカゴブルース界の影のドンともいわれる働きを忘れてはいけないでしょう。この人は、若い頃ボクサーを目指していたらしいのですが(もちろんヘビー級。アマチュア時代に、なんかの賞を獲得し、プロになってからは3戦で2勝1分)2足の草鞋を履くことを断念し音楽の道に進みました。もともとは、この人もミシシッピ生まれですが、14歳の時に白人の所有する空家から風呂の備品(60セント相当)を盗んだために1年間、郡の刑務所に送られ、農園での過酷な強制労働に就かせられた事が故郷を脱出するきっかけとなったそうです。
また、小さいころから音楽好きで、7〜8際の頃には、前出のリトルブラザー・モンゴメリーが村にやって来たときに、メガホンもって呼び込みをするおっさんの後を一日中裸足で追いかけまわして、家帰ってから母親にどつき回されたこともあったそうです。でかいウッドベースがギターに見える(画像)

2004年11月25日 (木)

フレッド・マクダウェル

3wum6pke ビッグ・ジョー・ウィリアムズのお次は、ボトルネックによるフレッド・マクダウェルさんの弾き語りです。1904年生まれと、年は喰っていますが、戦前の吹き込みは無く、59年に民俗音楽研究家のアラン・ロマックスに発見されて、以後「こんなオールドファッションスタイルの音楽する人がまだいてるんや!」ってことで、一躍脚光を浴び、レコードも多数吹き込むことになりました。ボトルネック使ってるからといって、デルタスタイルの影響はほとんど受けておらず、テネシー生まれということもあって、どちらかといえばメンフィスで活躍した人達のスタイルに近いですな。なんでもローリング・ストーンズが「You got to move」て言う、この人の作品を歌っているということです。(私は聞いたことがありませんが)VOL1では、唯一ボトルネックスタイルによる演奏が見れるという点では、非常に貴重な映像でしょう。ちなみに、ボトルネックによるギター名人は、日本でも憂歌団の内田勘太郎氏を始め、何人かの方がおられるようですが、テキサスのオスカー・ウッズやブラック・エイスのようにナイフを使ってスライドさせるスタイルを追及する人は、あまりいないようです。ここで、前回に続き提案ですが、ギターを弾かれる方はこの技を習得されては如何でしょう?ポケットから矢庭にナイフ取り出して、観客を恐怖に叩き込み、そのあとでギターを膝の上に寝かせて曲を弾き出す・・・   どないやろ?なかなかカッコええと思うが。つづく

総括

blog初めて早いもので一月が経過しました。最初は、「はたして何人の方が見てくださるのやろか?師匠、もとい、先生のうづき姫ぐらいしか義理で見てくれんのやないやろか?」と心配しておりましたが、幸いなことに何名かの方に、見ていただけるようになって、感謝しております。しかし、その反面、デジカメの扱い方を覚えなあかんわ、ネタを考えなあかんわ(それなりに面白いが)とけっこう大変やなーと実感しております。「もっとお客さん?に来てもらえるには、どうすればよいかな」ってことも考えないこともないですが、無理をせずに身の丈にあった内容で、ぼちぼちと続けて行くつもりです。今後とも、よろしゅうにお願いいたします。

2004年11月24日 (水)

ビッグ・ジョー・ウィリアムズ

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さて、お次は、ビッグ・ジョー・ウィリアムズの登場です。ボブ・ディランのファンの方ならば、かつてディランが若い頃に、この人にギターの手ほどきを受けたとか、放浪生活にあこがれて、この人の後をついて回ったとか言う逸話でお馴染みだと思います。この人生まれは1903年、16人兄弟の一人として、なんと母親が13歳のときに誕生しました。貧困と農作業の生活から抜け出すため、10代の時には家を出て飯場や鉄道で肉体労働をしながらギターの腕を磨きました。「ワシは世界の四隅まで旅したで」と本人が豪語するように、その間ほとんどすべての州を巡ったそうです。やがて1935年には、セントルイスで「ハイゥエイ49」などの名作を吹き込み、その後も50年代から再びレコーディングも行うのですが、経済的にはやはり、苦労したようです。なんせ、ヨーロッパに初めて渡ってギャラを受けとった時に「げげ!こんなにようけくれるのかいな?ワシが是までの人生で稼いだ額より多いがな!」と感激の涙を流したといわれています。それと、この人を語る際に忘れてはならないのが、トレードマークの9弦ギターですな。12弦ギターなら兎も角、9弦ギターなんぞはどこの楽器店でも売ってませんな。この人が勝手に改造した世界で一つのギターです。(本日の画像参照)「チューニングどないしとるのやろ」と昔からわからないまま、今に至りましたが、耳に自身のある方で解明できたら教えておくれやす。それと、人より一歩先んじたいと思われるギタリストの方がおられたら、15弦ギターとか24弦ギターとか作って、世間をあっといわせるのも一興かと思います。 続く

2004年11月23日 (火)

ネーミング

昨日、moondog氏のblogに大阪国立美術館についての話が載っておりましたが、そのネタをちょっとぱくらせてもらって日本での外国のネーミングの真似具合について、考えてみたいと思う。まず、商品名についてですが、これは、明らかに錯誤による購買を期待したものが多いのではないでしょうか。たとえばワシの中学校の食堂ではCoca ColaならぬCuco
Colaてな飲み物売っておったし、サッカーシューズでは、adidasならぬ、adiosってな商品もあったのを記憶してます。さすがに最近ではこの手の露骨な手法は影を潜め、日本独自の一見ハイカラな商品名を考えようと各社努力しているようですが、ポカ○スゥェットのように、異人さんから「日本人ってポカリっちゅう動物の汗を飲んでるらしいで」と誤解されたり、失笑を買ったりで、どうもいけません。コンピューター専門学校のHALなんかは、その点、なかなか面白いネーミング(IBMのそれぞれアルファベットの1字前をとった。)だと思いますが、いかんせん、説明されないと何のことかわからないのが辛い所です。音楽界でも、ちびまる子ちゃんのテーマソングで有名になったBBクイーンなんかも、BBキングの変形で、いい線いってると思うのですが、これも、BBキングを知っている小学生が果たして何人いてるのかを考えると、あまり効果的とは言えないでしょう。(ちなみに、リーダーの近藤房之助氏は、日本のブルースバンドの最高峰、ブレークダウンのメンバーやったってご存知でした?)その他ドリフターズ(そのままのパクリ)やホフ・ディラン、ずーとるびなんてのもありますが、本家と比べるのも恥ずかしい存在といえましょう。そうした中で、ワシが一番感動したというか、大笑いしたのがジョニー・ギター・岩田さんちゅうブルースマンです。早口でしゃべったら、本家のジョニー・ギター・ワトソンと間違えそうでっしゃろ?それと、昔「あみん」という女性グループがおったそうですが、当時そんなこと知らなかった私は、「ウチ、あみんの大ファンやねん」とのたまった女性に対して「それはあかんやろ!国際情勢に関心があるのは結構やが、何ぼなんでも大虐殺は正当化されんはずや!きっとアミン大統領もそのうちにウガンダの国民から見放されるにきまっとる!」と頓珍漢な事を言って、赤恥をかいたことがありました。
これは、アミン大統領と何の関係もなかったわけですな。
早とちりは、時として災いを招く。  おしまい。

2004年11月21日 (日)

JR西日本しっかりしてや。

今日、大阪に出かけた帰り、天王寺駅のホームで電車待っておった所「本日は濃霧のため、6両編成の列車を4両編成で運転いたします。」という放送があった。「ほう、中々安全運転に気を配って、感心感心」と一瞬思ったが、「濃霧やからいうて、何で2両減らさなあかんねん!!」と突っ込みたくなった。「濃霧により徐行運転いたします。」とか言うのであれば理屈も通るが、車両の数と濃霧の関係がさっぱりわからん。おまけに、いつもは、座れるのに王寺まで立ってなあかんかった。責任者出て来いと、故人生幸路師匠風ボヤキで本日はおしまい。

2004年11月20日 (土)

ジュニア・ウェルズ

Ltybuyqu さて、再び会場ライブへ舞台は移り、ジュニア・ウェルズさんの登場です。この人の演奏はとても視覚的に楽しませてくれます、以前シカゴブルースのドキュメンタリービデオが出てましたが、その中でもバディー・ガイのギターソロが終わる寸前ムギュっとギターのヘッド掴む場面がありましたが、このDVDでもなかなかカッコええ演奏っぷりを披露してくれます。この人、生まれはテネシー州で1934年に生まれたということで、近所に住んでいたジュニア・パーカーにハープの吹き方を教わった後、早くも若干14歳からシカゴのクラブで演奏するようになったとか。「未成年をそんな所で働かしてええんかい!」と突っ込みたくなるところですが、その後もシカゴ中心に活動を続け、60年代中ごろからは、前述のバディー・ガイと組んで多数の作品を残してくれました。この人が子供のときこんなことがあったらしい。12歳のときにハープが欲しくて、学校サボってトラックの仕事で金を貯めたのはよかったのですが、金が足りない。店屋の主人がまけてくれなかったために1ドル50セント置いて、そのままハープを持ち帰ってしまいました。その結果、警察につかまって留置所に送られてしまい、裁判の日をむかえました。その時の裁判官がなかなか、粋な人やったらしくジュニアにハープを吹かせた後、不足分の1ドルを店の主人に払ってやることで、一件落着となったそうや。閉廷後「レコード吹き込むことになったら1枚まわしてくれたらええで」と言ったその時の裁判官に、まっさきにジュニアさん、レコード進呈したということです。なかなか心温まるエエ話ですな?