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2004年10月

2004年10月31日 (日)

それはあかんやろ?

日曜のさんまの「からくりテレビ」って言う番組たまに見るが、その中のお年寄りによるクイズコーナーどないかならんかいな?お年寄りの少々ピントのズレタ回答を売り物にしとるようやが、間違う解答がわざとらしいぞ!!ギミック丸出しや。素人使って視聴者だますなよ。最初の方はわりとマジでボケた回答が多くて評判をよんだかも知れないが、作ったらあかんで作ったら。そんなんで笑いとっても空しくないんかいな?○○テレビ局    皆様そう思いませんか?

トミー・ジョンソン

Hmjjwjh3 さてさて、トミージョンソン。1896年頃に13人兄弟の一人として、ミシシッピー州はテリーっていう所の近くに生まれました。何でも結構、音楽一家やったらしく、あのロニージョンソンと父方を通して血縁関係があったそうな。
それは兎も角、トミーさん、12歳頃から兄貴にギターぼちぼちと教わるようになりました。しかし、16歳のときに彼の人生を決定付ける一大事件が持ち上がります。
何と、自分の母親ぐらいの女に誘惑されたのか、誘惑したのかわからんが、故郷を捨ててその女と家出してしまったのでした。
その後、やっと2年ほどして一人で舞い戻ってきたトミーさん、すっかり人間が変わって、大酒のみになってしまったのです。さらに、驚くべきことに。これまで皆が聞いたことのない音楽を驚異的なギターで演奏するようになったのでした。兄貴がトミーに「どこでそんな音楽覚えたんや?」と聞いたところ、トミーさんは答えましたな。「あのな夜中の12時ごろにな、十字路にギター持って行ってみるんや、一人でいかんとあかんで。そしたらな、黒い巨大な悪魔がでてくるよって、ちょっと曲をワンフレーズ爪弾いてから、悪魔にギター渡すんや、そしたらまた悪魔がワンフレーズ弾き返してくれる。これの繰り返しでな。曲が一丁上がりってなもんや。」   この話、どっかで聞いたことあるでしょう。そうです。ロバートジョンソンについて語るとき必ず引き合いに出される有名なエピソードです。時代的にもこっちがオリジナルと思われので、ひょとして、ロバートジョンソンがこの話パクッたのかも知れないし、ほんまに悪魔が十字路で音と魂をひきかえにしとったんやろか?
研究家の間では、トミーの演奏スタイルは、その頃にチャーリーパットンやウィリーブラウンなんかを中心にドッケリー農場で形成されていたデルタブルースに感化された結果やろうというのが定説になってるが、そんなことはどうでもええ、これ以降、トミーは一生続く放浪生活に乗り出すことになりました。続く

2004年10月30日 (土)

暗澹たる気分や・・・

C4agkbqb 今日ニュースで言ってたが、新潟が大変な状況になっておるのをチャンスとばかり、募金詐欺が急増しているらしい。
他人の不幸と、それに対して少しでも力になりたいと言う人々の善意に付け込んだ実に卑劣であさましい行為や。
しかし、最近やたらと犯罪自体が悪質化(犯罪自体が悪やが)しとると思うのはワシだけやろか?
別に正義の味方「月光仮面」を気取る気はないけれど、日本の社会全体がなにやら病理に侵されてるような危惧を抱く今日この頃です。我が家の愛犬クロレッツも首かしげとるぞ!

2004年10月29日 (金)

canned heat killing me

2qp16sug Crying,canned heat,canned heat,mama,crying,sure,Lord,killing me.
Crying,canned heat,mama,sure,Lord,killing me.
Canned heat don`t kill me,crying,babe,I will never die
あー、キャンドヒートが俺を殺そうとしてるぜ、ネーチャン
そうさ、キャンドヒートがこの俺を。
けど、キャンドヒートでくたばるもんか。


昔、日本でも「RCAブルースの古典 1927-1946」と言う中村とうよう・鈴木啓志・日暮泰文各氏による戦前ブルースを集めたオムニバスアルバムが発売されたことがありますが、極めて高水準の作品を集めたものとして、海外からも高い評価を受けただけでなく。けっこうな売れ行きを示したことがありました。その1曲目と2曲目がこれから紹介する所謂「ジャクソンブルース」の創始者トミー・ジョンソンの作品でした。チンケな訳で申し訳ございませんが、その暖かい歌声と滑らかなギターピッキングとは裏腹に、2曲目の「キャンドヒート ブルース」の歌詞は衝撃的なもので、酒をテーマにしたブルースは数あれど、これほど、リアルで赤裸々なものは、他に御座らん!!
え?「キャンドヒートとは、なんぞいな?」って?
そうそう、そこから説明をしなければいけませんな。
無類の酒好きというか酒のために生きたともいえるトミーさんが考案した自家製の酒?のことです。なんせ禁酒法の時代のこと、極貧の生活にあえいでおった黒人たちにとって、高価な闇の酒類はおろか、密造酒さえ入手するのが困難になってしまいました。そこでトミーさん、スターノとかいう赤い台所用固形燃料をろ過して、水と砂糖を加えて飲むようになりました。え?そんなもん飲んで大丈夫かって?大丈夫なわけありませんわな。何人もの人が不具になったり、命を落としたりしたそうな。トミーの酒好きというかアルコール好きは驚くことに、これだけにとどまらず、靴墨・工業アルコール、ヘアトニックにまで手を広げたそうな。
もうここまできたら酒飲みにとっては生き神様みたいな存在やね?
ま、冗談はともかく、このトミージョンソンについて、紹介していきたいと思います。こう期待。

2004年10月28日 (木)

サニーボーイ�最終回

キングビスケットを後にした、サニーボーイ、その後は、一時エルモアと組んで流したり、ある時は他のラジオ局に現れたり、気の向くまま動き回っておりましたな。そうこうしているうちに、ミシシッピー州はジャクソンの家具屋も経営するオバちゃんが設立したトランペットレコードがサニーボーイをやっとのことで探し当て「アイサイト・トゥ・ザ・ブラインド」ちゅう初めてのレコードが吹き込まれたのでありました。(実に、この時既に50歳超えとった!!」その後、トランペットレーベルがチェスに買収された後は、シカゴに移って名作を次々残すのは、皆様ご存知と思う。
しかし、なんと言っても晩年にヨーロッパに渡ったときは、周りも驚くほど向こうで絶大な人気を得て、「黒人を人間扱いせんアメリカなんぞより、こっちの方がよっぽど暮らしやすい。」と移住まで考えたとか考えなかったとか・・・
しかし、1965年には、ひょっこりと「死ぬために帰って来たで」と故郷に舞い戻り、そのまま波乱万丈の生涯をとげたのでありました。
余談やが、どうもロバートジョンソンの死の間際にこのサニーボーイが居合わせていたという話には、いまだにすっきり納得できない。そもそもこの話はサニーボーイが生前から言ってた話で、ずっとサニーボーイ一流の法螺話として定着してた筈やったんやが・・・・ それよりもジョンソンの父方の親類なる人物が発見された際(手元に資料が無いのではっきりした事はいえないが、確か20年程前のことやったと記憶している。)の証言「実はジョンソンは毒殺されたのではなく、あるジュークジョイントでピアノの取り合いから別の男に刺殺されたんや」と言う話の方が信憑性があるように思うがどんなもんやろか?
それは、ともかく、このサニーボーイやロバートジョンソン、エルモアジェームス、ウルフ達が南部のあちこちのジュークジョイントを徒党を組んであらしまくっていた光景を想像するだけでブルース好きには失禁もんですな。 完

方向音痴はつらいもの・・・

Ljtaycxr 今日は、堺の北野田の方に出張することになった。職場は堺にあるとはいえ、駅から職場までの半径300m以外殆ど、移動することのないワシにとって、知らない所へ出向くというのは、ある意味非常にプレッシャーがかかる。それに、生来の方向音痴ときてるので前日は出張がいやでいやでたまらんかった。しかし、そんなことも言っておれないので、インターネットから地図をダウンロードして、まなじりを決して本日出かけたわけです。途中の難関と思われた分岐点もどうやらクリアし、ずんずん進んでいくうちに、なにやら回りの風景が、豪邸立ち並ぶ街中になって来た、「あれれ、これはおかしいぞ、こんな所に目的地があるはずがない・・・」とあせっておったら、地獄に仏、向こうから集団下校してくる小学生の一団と引率の先生らしき人が現れた。      「すんません、○○には、どう行けばよいのでしょうか?」とたずねた所、先生が答えるより先に子供たちが口々に教えてくれた。「あ、そこやったら次の信号右に渡るんやで。」「ちゃうわ、左や」「おっちゃん、騙されたらあかんで、二つ先の信号を右や」「行き過ぎてるで、前の筋までもどらなあかんで」とか、教えてくれるのはええが、みなバラバラやないか この悪ガキどもの相手なってても埒あかん、先生聞くのが一番やと、見渡すと、がーーーーんいつの間にやら姿があれへん!!愕然と立ちすくむワシを後に「ま おっちゃん頑張りや。」とか捨て台詞を残して子供達も立ち去っていきよった。「悪夢や、なんでこんなめにあわんならんねん!!」と絶叫したい気持ちをおさえて最終的には心優しい道路工事のおっちゃんに教えてもらって事なきを得たが、最近の小学生侮り難しという教訓を得た一日でありました。(ちなみに画像は我が家の飼い犬「さゆり」)

2004年10月27日 (水)

3DNA

Cr3k4dkp 最近、3DNAというソフトをダウンロードして使ってます。
グラフィックやキャドを扱うならいざ知らず、日頃使う一太郎やワード、エクセルなどの操作程度では、「わが愛機エディさんの強力CPUも64メガのグラフィックカードも力の発揮のしようがないやないか、これでは宝の持ち腐れや」と思っておったところ、こいつを見つけました。
まー、一口で言えば、デスクトップを3次元化して、あたかも家の中で操作しているかのように感じさせるソフトですな。家の中を歩き回ったり、壁に好きな画像貼り付けたり、ベランダに出てバスケットボールをシュートしたり、結構面白いことができます。今日も職場の若い女性が「バビさん、この前、遊んではった、家の中みたいに見えるソフトどうしてダウンロードするんですか?」(仕事してたちゅーねん)と聞いてきたので、思わず、ダウンロードからインストールのお手伝い、使用方法まで説明してしもたがな。
ちょっと古いPCでも最低1ギガぐらいのCPUつんでる奴やったら動くと思いますので、興味のある方はおためしあれ。
ちなみに4000円ほど払ったら、いろんな機能も使えるようになって、ダウンロードも、し放題になるらしいが、フリー版でも十分重宝します。すでに、家3件、背景数種類ダウンロードさせてもらいました。
ということで、本日も、テレビショッピングみたいに、商品の紹介で終わってしまった。
けど、昨日の「だしの素」よりは、ましだったのでは?sad

2004年10月26日 (火)

我が家の必需品

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さて、「京風だしの素」でございます。唐突に何の脈絡もなく紹介させていただきますが、今や我が家の料理には欠かせない一品となっております。本格的な出汁には負けるかもしれませんが、日常の料理作りには十分な威力?を発揮してくれます。日頃の料理作りにはええかげん辟易している貴方、作るのは抵抗無いが、時間がかかりすぎるのはちょっと・・
とお悩みの主婦の方々、騙されたと思って一遍使ってみられることをお勧めいたします。
あかん!日記が商品のPRコーナーになってまうcoldsweats02

2004年10月25日 (月)

キングビスケットタイム

3nr6ekxy さてさて、そのキングビスケットタイム、大評判を呼びましたな。おかげで小麦粉(キングビスケットフラウア)も飛ぶように売れた売れた!!ジェームス・コットンなんぞは、感激のあまり、わずか9才で家出して「僕は孤児ハッチです」とかなんとか言って、ちゃっかりとバンドにもぐりこんで一緒に活動する始末。ピアノ・ドラムスを加えますます調子を上げてきた。ところが何たること、始めのうちは、このサニーボーイはん、メンバーにギャラを払おうとせん。しかたがないからロックウッドが変わりに払っておったそうな。それはともかく、トラックにピアノ積んであちこちにロードに出た所、行く先々で黒山の人だかり。その後もメンバーの変動はあったものの、サニーボーイの名声は南部黒人の間で確固たるものとなりました。
ところが何たること、この人らしいと言えばそれまでじゃが
「おまえには、十分仕込んでおいたで。ほな、後はおまかせ。」と言い残して、わずか15歳になったばかりのコットンにバンドをまかせて、サニーボーイはふらりと放浪の旅に出て行ってしまったのであった。(どないなっとんねん!)
残念なことに、この頃のサニーボーイ達の音楽については、一切記録が残っておらない。今となっては想像をたくましくするしかない・・・・
余談になりますが、な、なんと「キングビスケットショー」という番組、半世紀以上たった今でもまだやってるらしい。
先日触れた、ブルースバーのマスターが実際に飛び入りでハープ吹かせてもろたという事や。いやー何かわからんが、凄い話ですやろ?
てなわけで、またまた、次回へ
しかし、何人の人がここ見てくれてるんやろか?<落ち込み
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サニーボーイ�続編

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さて、このオジサン、生まれは何時かというと1898年という説や1901年という諸説があって、ようわからんというのが実際の所。二十歳ぐらいの時には家を飛び出し、放浪の旅にでました。糊口をしのぐためブルース・ハープを覚え、そうこうしているうちにいつの間にやらミシシッピ、アーカンソーあたりのジュークジョイント(安酒場)では、結構知られる顔になったそうな。(本人は20年代にレコードも吹き込んだと言ってたそうですが、これも恐らく得意の大法螺と推測されます。)ウルフやエルモア、ロバートジョンソンなんかとも交流があり、特にウルフとは、一時義理の兄弟になったこともあり、ハープを教えたりしております。
1941年頃になると、人種差別のエゲツナカッタ南部のラジオ局でも黒人達を対象とする放送局ができてきたのですが、ちょうど黒人相手に小麦粉の売り上げを伸ばそうとする会社がサニーボーイに目をつけ、「ギャラは払わんが、君達の演奏する予定の場所と時間を番組の中で宣伝してええよってに、ラジオ番組やらへん?」という話になり、ここに伝説となった、「
キングビスケットタイム」という番組が開始されました。遂にサニーボーイのハープ・ボーカルとバックのロバートジョンソンの義理の息子(ちゅうてもほとんど本人と年かわらん)のロバートJrロックウッドの革命的な電気ギターを中心とした生演奏が電波に乗って南部の黒人達の耳に広くとどくようになったのです。  さらに続く・・・